昨日、当町内の墓地にて、あるご家族のお墓じまいの法要をお勤めしました。最後に納骨された故人さまから見てお孫さんにあたるご兄弟、そしてお父さまの奥さまが、遠く東京からお見えになりました。
昨年の報恩講(ほうおんこう)でもお話しましたが、今から100年以上も昔、この集落に、大変成績優秀な3人の若者がおりました。しかし、それぞれの家庭には、東京の大学へ進学させるための資金がありません。そこで村の人々は「彼らの夢を叶えよう」と浄財(じょうざい)を出しあい、進学を応援したのです。
その3人のうちのお一人が、昨日お見えになった施主さまのおじいさんに当たります。その方はその後、東京で医師として活躍されました。晩年、「生まれ故郷の実家のお墓に分骨してほしい」と遺言され、当時まだ若かった施主さまが納骨のためにこの地を訪れたそうです。それも、もう50年以上も昔の話です。
長年、お墓の管理をご親戚の方にお願いしてこられましたが、それも維持が難しくなり、文字通り「断腸の思い」で昨日の法要を迎えられました。
法要の際、施主さんのお父さんのお話も少し伺うことができました。お父さんもまた、医師として生涯を捧げた方でした。昼夜を問わず患者さんを受け入れ、周囲からは「赤ひげ先生」と慕われていたそうです。施主さんの奥さんが、懐かしそうにこう振り返られました。「義父は食事中であっても、患者さんが来られればすぐに診察に向かいました。診察を終え、すっかり伸びてしまったラーメンをすする姿が今も目に浮かびます。本当に素晴らしい人でした」
その志は受け継がれ、長男さんも数年前まで町医者として診療に当たられ、さらにその息子さんも、現在は埼玉の地で医師として活躍されています。
100年以上前、村の人びとが寄せたあたたかい浄財が、今もなお、世代を超えて生き続けているのです。
村の歴史の一部として、ささやかですがここに記しました。