もう4月末です

もう4月末。1年の1/3が過ぎました。はやいですねぇ。

今月の初めのこと。お寺の洗面所の改修と山門の汚れ除去で世話になった大工さんが口にされました。「1日は長いのに、1年はあっという間だが」。長く感じるというのは、仕事量が多いのか、それとも朝早い仕事でしょうから、1日を長く感じるのか。私の場合は、1日もすぐ終わるし、1ヶ月も1年もはやいなあと過ごしています。何をしたのかわからないような日も多いのですが、時間だけはすぎていきます。

「ただいたずらに明かし、いたずらに暮らして年月を送るばかりなり」との蓮如上人の言葉通りなのです。

仏教では「今しかない」とよくいいます。何とかできるのは今のことだけ。だから、今を充実させようということなのです。

さて、5月のカレンダーを眺めてみると、ゴールデンウィークのお勤め、毎週末の法事、お寺の清掃日&法要、月末の研修会。本堂の屋根瓦の改修も5月に行うことになりそう。

そこに向かって、日々、今できることにとりくんでいきましょうか。

「心がつぶれる以上の思いだ」

27日、インドでは1日あたりの感染者数が36万人にものぼり、死者数は3200人に達したとインド保健当局は発表しました。朝のBS NHK1「ワールドニュース」を見ると、現地インドはもちろん、アジア、ヨーロッパのニュースが大きく報じていることがわかります。

私も日々、胸の痛む思いでニュースを見ています。昨日のニュースでは、酸素ボンベが病院で用意できず、市場価格の10倍もの価格で売られていたボンベを病院に持ち込んだ現地の方の姿をみました。病院に連れて行っても診てもらうこともできないまま息を引き取る人が相次いでいるようです。火葬が間に合わず(インドでは焼却時間が6時間かかるそうです)、駐車場に臨時の火葬場が作られています。ヨーロッパの放送局が、ドローンを使って壁に囲まれた火葬場を上から撮影していました。その外はビルが立ち、車が走る日常です。壁の内側では、もしかしたら救えたかもしれないいのちが大量に失われ、焼却されている非日常なのです。

WHOのペドロス事務局長は「心がつぶれる以上の思いだ」「悲痛の域をこえる」とのべ、現地に医療物資やスタッフを送ったことを記者会見で述べていました。

戦乱や疫病でたくさんのいのちが失われた室町の時代にいきた蓮如は、「朝(あした)には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり」と無常をときました。いまは医学も発達し、不意に亡くなるということはそうそう当たり前の世の中ではなくなってきています。世界の英知を結集して、インドの方たちが直面している痛ましい事態を、何としても打開して欲しいと願わずにはいられません。

日本でも感染拡大はなかなかおさまりません。その中での夏のオリンピック開催です。

昨日、日本の国会では、政府の新型コロナ対策分科会の尾身茂会長が、「五輪・パラリンピックの議論をしっかりする時期で、避けては通れない」と答弁しています。

他方、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会は日本看護協会に看護師約500人の動員を要請したことが明るみとなり、ツイッター上では「#看護師の五輪派遣は困ります」をつけての抗議の声が広がっています。

世界のどこかで感染が広がれば、それが巡り巡ってしまうのです。世界から数万人の人を、そして国内から観客を集めるオリンピックが、その契機になってしまっては大変です。

日本が今、決断しなければならないことは何なのでしょうか。

ゴールデンウィークを前に

今年も感染予防に気をつけたゴールデンウィークになりそうです。お寺の方は毎日のように法事の予定が入っています。他県から来られる方はいまありません。ご門徒さんもよくわかっておられて、ご家族中心のお参りです。数人、ときにはお一人でお参りのこともあります。私などは、むしろ少人数の方がお互いに法事に集中できるように思います。もともと仏教は、私がいかにこの与えられたいのちをいかに生きるのか問うものであると思います。私も法事のなかで自らに問わなければなりません。

天台宗の開祖である最澄の遺した教えに「忘己利他」があります。「己(おのれ)を忘(わす)れて他(た)を利(り)するは慈悲(じひ)の極(きわ)みなり」。たやすいことではないけれども、他者のことを頭に入れて生きていこうということです。コロナ第4波のなかで迎えるゴールデンウィークを前にして、大切な精神ではないかと思います。

5.1 フード・プロジェクト

坊守です

あっという間に4月も最終週。ふだんの最終週は定例会議も少ないのですが、今月は少々様相が違います。
メーデー(5月1日)を前に、地域にお知らせをポストインしてきました。
1時間半、配り歩いて汗だく。お庭をきれいにしているお家もあって、楽しかった面もありましたが、あまりの晴天に喉からから、足が棒になりました。笑

去年に続き、メーデーらしい行事(プラカード持って街中を歩いたり)はしないそうですが、代わりに、お米などの食料を配るフード・プロジェクトをおこなうことになりました。

コロナの影響は、鳥取のような地方にも及んでいます。年金暮らしの方から子育て中の現役世代、学生さんまで「食費を削っている」という世帯が多くあり、大した足しにはならないかもしれないけど…というところです。

もともとここ数年、日本の家計は、世帯の構成員が総出で働いて、なんとか一定の水準を維持するというカタチ(多就業世帯=所得持ち寄り世帯)が増えていたそうで、そこにコロナ禍がきて、お母ちゃんの出勤日数が減ったり、お兄ちゃんのバイトが無くなったりで、大打撃…ということもありうるわけです。
災害のような事態ですが、災害ほど被害が見えやすくないので、対策は難しい。

と、ごちゃごちゃ書きましたが、とりあえず、できることから取り組むのです。

旧友との再会

昨日の法事で中学時代の友人と再会しました。私は全く気が付いていなかったのですが、法事の後、声をかけられてわかりました。「あっ、Kくんか! 髪は少し白くなったけれど、全然変わらないなぁ」「山名くんこそぜんぜん変わってないが」と。冗談ばかりいって笑わせてくれたKくんは、すっかりおじさんになっていました。もちろん私もですが。

網代に住んでいるそうです。住所を聞くと、どうも私はKくんの家の前をしょっちゅう歩いていたことがわかりました。

旧友と再会するのは今月2人目です。お寺の通信も持ち帰ってくれました。

これも亡き方のご縁なのでしょうか。とにかくうれしい再会なのでした。

我が家に蓮がやってきました

「晴れたぞ、いえーい!」と、
ご機嫌でナモに話しかけた日曜日であります。

午前中は、自宅の 草引きざんまいをしました。
寺にお勤めに出る住職と「あたたかくなったなあ」と、家を出てギョギョギョ!
気づけば中庭の地面は、草がのびのび伸び放題で、どこのあばら家であろうか、という風情だったのです(写真)。


自然の少ない都会で長年生活したためか、路肩に咲くタンポポなどは、目を細めて楽しむ派。庭の状態は、そんな調子で緑を楽しんでいた結果なのですが…。

作業は小一時間ですみました。オキザリスやワスレナグサ、ドクダミ、ツユクサといったものは容赦なく引いて、ニワゼキショウ的な植物や、シダ類は残しました。庭石に沿うようにして出てくるシダがいい感じです。


おととし、日陰に植えておいたツルニチニチソウも着地して、思いがけない場所から生えてきています。

植木屋さんにお願いしていたハスも、火鉢に入って届きました。水を注ぐと、「ホントに泥の中で育つんだなあ」と住職(笑)。
ハスの観察日記が時々書けそうですね。

ホームページ丸2年

2019年4月24日に開設した西法寺のホームページ。本日で丸2年となりました。

毎日更新する予定ではなかったのですが、住職と坊守、そしてナモ(ネコ・ペット)、元気にしているのかなあダブ兄さん(ノラネコ)で更新してきました。

ご覧になっていただいているみなさまに感謝です。

鳥取に帰ってくる前の年、本願寺のある方が学習会の折に、「お寺のホームページがないということは、そのお寺は社会に存在していないに等しい」と言われました。そのくらいなら自分にもできるかなとはじめました。

今後も毎日更新をめざしたいと思いますので、引き続きよろしくお願いします。

追伸。午前の法事の最中に、ウグイスが境内で鳴いていました。「法を聞けよ、法を聞けよ」と。

むずかしいことをやさしく

浄土真宗本願寺派における国会とでもいうべき宗会で行われた報告が本願寺派の月刊誌『宗報』に掲載され、午後、かなりの時間をとって読みました。

コロナ禍のなか、緊縮財政であることなど、なかなかの苦境です。

ですが、それはお寺に限らないことです。問題は、コロナが仮に終息したとして、浄土真宗のみ教えは果たして継続・相続されていくのかということです。

報告の中心的なテーマは「伝わる伝道」にあります。
「伝える」というお坊さん目線ではなく、「伝わる」という受け手目線です。

「人々の価値観が変化する現代社会において、常に現場や受け手目線を忘れず、『伝わる伝道』への本質的な転換を図る」とあります。

本願寺派では、コロナ感染症対策の一環として『本願寺新報』(新聞です)の見開きページを使ってメッセージポスターを発信しました。

当初は、うちのお寺でも掲示板に貼り出したのですが、途中でやめました。

理由は、率直に言って意味が分からないからです。

今回の報告では、メッセージポスターについてインターネット調査を利用し、男女500人から千人を対象にしたアンケート調査を行ったこと、そして、その厳しい結果についてふれられています。

例えば、「コロナらしい時はお医者さま、不安になる時は不安になる。『そのまま救う』の弥陀の慈悲。おやさしい南無阿弥陀仏にありがとう」とのメッセージ。確かうちのお寺でも貼り出したと記憶しています。このメッセージ、20代でとてもよくわかったと答えた人は0%です。

「親(弥陀)のご苦労」「そのままの救い」「阿弥陀さまにお任せするしかない」

などなど、本願寺派の布教ではよく使われるフレーズがあります。長い話の中ならば理解できることもありますが、私自身はほぼふれません。そのまま使っても伝わらないということ、そして、現段階では、まだ自分の言葉に語りなおすことができていないからです。おそらく、昔は伝わったのでしょうし、今も、伝わる方はいらっしゃいますが、お寺との関わりが薄い方にこうした話は通じないのが実際です。


ただ、親鸞聖人のみ教えを現代的に捉え直す、わかる言葉で語りなおしていくということについては常日頃より問題意識を持っています。

報告では、NHK『チコちゃんに叱られる』で『般若心経』の心を現代の言葉で同時通訳するという企画を行い、Twitter上で反響があったという話が紹介されていました。

そういえば、昨年、「『般若心経』を暗記しているけど、意味がわからない」という方に、内容をお話し、その上で浄土教の教えについてお話ししたことがあります。ちょど習字教室で『般若心経』を書いている頃で、私も気になって意味を調べたことがひょんな形で生きました。

本願寺派も、私自身も努力方向は明確であると思います。

「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」


井上ひさしさんがおっしゃっている通りです。

いうは易しですが、頑張りましょう。

きょうも放哉を書く

午後は網代の習字教室でした。いつものように課題は放哉の句です。

「土くれのやうに雀居り青草もなし」

「風の中走りて手の中のあつい銭」

いずれも京城(現在のソウル市)、旧満州の長春にいた頃に詠んだ句。放哉が見たり体験した情景なのでしょう。せっかく得た職も禁酒の誓いが守れず、約1年で退社したそうです。

「雨の中泥手を洗ふ」

生涯最後の時期、小豆島時代に詠んだ句の一つです。

私もそうなのですが、「な」のまくりに苦戦しています。言葉で説明するのは難しいのですが、「な」の四画目は、筆を下におろし、ついで左へ、そして右45度に一度もちあげて右に抜くという動きをします。理屈はわかってはいるのですが…。

次回はゴールデンウィークあけとちょっと間があります。先生から宿題用のお手本もいただいたので、連休中も筆を持つ時間をつくるとしましょう。

文化の時代にはじまる

昨日、古い過去帳をお使いのご門徒さんより、新しく書き直す依頼を受けました。今日、過去帳をみて驚きました。いちばん古いご先祖さんのご命日が文化という元号だったのです。

調べてみると文化の元号は1804年から1818年まで。徳川11大将軍家斉の頃なのです。記載されているご法名、お名前は20人以上。こんなにたくさんのお名前を書くのははじめてです。

これだけのいのちが時を経て受け継がれてきたことの不思議さを感じます。そして、その前には過去帳には書ききれない無量のいのちの歴史があるのです。このご門徒さんのご先祖と、私のご先祖も、もしかしたら、どこかで重なっているかもしれません。いや、そうに違いないのです。

そういうことを想像すると、このいのちというのは自分だけのものではないなと思わされます。

「一切の有情は、みなもって世々生々の父母兄弟なり」

親鸞聖人がおっしゃる通りなのです。