坊守です。
今日はナモのご飯を切らしたので、急いで仕事をやっつけ、はやく帰らねば、と思っていました。が、住職から届いた写真に口元がほころびました。
野良猫シマ氏用のご飯を分けてもらい、内と外で仲良く食べているではありませんか。
きょうは「どうしたらどんな人でも安心して暮らせる空気が、わたしたちの社会につくれるんだろうか?」
と、真面目に(珍しく!)考えることがありましたので、2匹の姿によけいにホッとさせられたのかもしれません。
半年前から、職場でとりくんでいる困りごと相談の延長で、ある役場の福祉の窓口にいきました。
お年で仕事を引退したものの、年金だけでは足り苦しくて困っていた方の生活保護の申請に同行しました。
カラダを悪くされたのでアルバイトもできず、でも、この制度への抵抗感があり…というので、窓口に行まで何ヶ月もかかりました。収入や家族関係をみれば、はよ手続きされたらいいのに、と傍目に思っていたのですが。
でも、窓口に行くと、やっぱり他の行政サービスと比べて違うなと感じます。
2008年の年越し派遣村の頃から、申請を手伝っていますが、親切とは言いがたい対応に何度も遭遇。
「この制度は、最低の制度ですが使うんですか?」と、言い放った東京某区、「忙しいので今日は手続きできません」と、仕事も家も失った人を路上に帰そうとした事務所、印象に残っているシーンは色々ありますが、今朝の職員さんも、「世間の目は生活保護に厳しい」という話をとうとうとされました。
千円札1枚しか入っていない財布や、残高がわずかな通帳を見てもなお、相談者を悲しくさせる言葉を投げるのは、なぜなんだろうと思います。
対人援助はストレス多く、きつい仕事だと思いますけれど、誰かの人生のピンチに再起を手助けする仕事なんてそんなにざらになくて、見方を変えれば、やりがいのある素敵な仕事だと思うのですが、どうなのでしょうか。
「生活保護の必要な人が10人居たとしたら、2人くらいしか実際の利用につながっていない」というのが日本の現状です(日弁連調べ)
困った時はお互いさま、いま困っている人の過去は問わない、そういうのが普通になればいいのにになあ