バスが100円に

朝刊に、岩美町が町内のバス料金を一律100円にする方向で予算化するとの記事がのっていました。報道によると、町営バスは一律100円に、民間バス会社を利用する場合、回数券などを購入し、役場に申請すれば差額が返還されるしくみのようです。お寺の最寄りの岩井温泉バス停から岩美駅まで現行210円ですが、半額以下になる計算です。

町内の老人会が5人以上でJRを利用する場合、無料となる区間があるとのこと。この区間内には鳥取市、岩美町、兵庫県の新温泉町、香美町、豊岡市が含まれます。

私が高校生の頃、岩美駅までバスか自転車でいっていました。いまは親や家族が駅まで送り迎えしている姿をよくみかけます。料金面もあるのでしょうが、バスは本数が少なく、利便性が良くないからだと思います。

それでも、地方の公共交通をどう維持していくのが、重要な施策であると思います。買い物や通院などでバスを利用されているご門徒さんの顔が思い浮かびました。3月の町議会での町の説明に期待しましょう。

久しぶりにバスに乗ってみようかな。

城原(しらわら)展望台にて

朝早くから過去帳の続きを書き完成! その後、田後(たじり)に届け物でやってきました。家で美容室をされているご門徒さんとしばし立ち話。「まっているばかりだといけないので、電話で予約してもらうようにして、空いている時間は友達とおしゃべりしたり、コーヒーのんだりするようにしてるんです」とのこと。お寺も同じような感じです。こもっているばかりではどうもいけません。

ということで、帰りがけ、城原海岸で海を眺めようかなと展望台へ。

青い海、心地よい海風、旋回して鳴くトビ。いいですねぇ。

するとすぐにバイクでご門徒さんがとおりかかりました。畑のネットを修復してきたそうです。草刈りや環境整備はご主人が、野菜づくりは奥さん担当とのこと。

昨日の余韻冷めやらぬ住職は、「テレビはあまりみない」というご門徒さんに、「どうする家康」を猛プッシュしたのでした。

さらに、スーパーに立ち寄ると、顔見知りのご門徒さんも買い物中でした。「きょうは何時のバスでかえるんですか?」「ここでコーヒー飲んで時間潰して帰るですが。家にいると電気代がかかるし。何でも高くなって、死にますで」とこぼしておられました。本当に、生活を守ることがますます大変になっています。

庭の梅が咲きました

どうする家康 三河一向一揆

久しぶりに大河ドラマを初回から見続けています。先週と今週は三河一向一揆が描かれました。

家康による一向宗寺院への年貢の徴収をきっかけに本證寺住職空誓のもと、門徒衆が決起し、家康と対立することになります。家康は仏敵なのです。

家臣にもたくさんの門徒がいました。そのなかから一揆勢に加勢するものが生まれ、家来とたたかうことを強いられた武将たちは動揺し、若き家康は大苦戦します。「死ぬことは極楽」。門徒たちは、手柄のためにたたかうのではないのです。

「一つの家はばらばらじゃ」と家康の妻瀬名はつぶやきます。門徒衆と呼応し、吉良氏が蜂起し、三河は内戦状態に。家康の家臣からは離反・裏切りが続きます。

ドラマでは、出陣した家康が狙撃されるシーンまでありました。もちろん、これはフィクションです。

うつろな家康の脳裏に、ありし日の今川義元がでてきて、「民に生かしてもらっていることを忘れるな。見放された時こそ死ぬのじゃ」と語るのです。しかし、一時は心ならずも家康を裏切った長吉が身を挺して家康を守りぬきます。

そしてラスト、門徒衆の軍師は家康の家臣・本多正信であったことが服部半蔵によりあきらかになり、家康は動揺。次回へつづきます。

ドラマでこんなに三河一向一揆を描いたことがあったのでしょうか。

「正信偈」を2週つづけて聞く、かつてない大河ドラマです。

過去帳に記載する

一昨日、ご門徒さんのところに春の彼岸法要のお誘いでうかがいました。「住職、過去帳を新しく書いてくれんだか」とのお願いがありました。確かに紙がずいぶん傷んでいました。

昨年秋、100歳のお母さんがご往生されました。「おじいさんの代からの仏壇だけえ、だいぶ汚れとるし、おかあの初盆までに仏さんをきれいにしたいと思ってるだが」「仏間もきれいにしたいだけど、そこまでできるかどうかわからん」とも。ですよね。あらゆるものの値段が高くなっている折ですから。

来月末、本願寺参拝ツアーにご一緒し、お母さんのご遺骨の一部を大谷本廟に納骨する予定です。

過去帳の方はお預かりして、昨日、市内の仏具屋さんで、同じサイズの過去帳を購入しました。この仏具屋さんは5月28日のお寺フェスにも仏具販売で来ていただくことになっています。店員さんとしばし、最近のお墓やお葬式事情について意見交換をしました。

今日は終日、住職部屋にこもっています。今月2人のご門徒さんから過去帳を預かっていましたので、手元に3冊の過去帳があります。午前中から昼過ぎにかけて、ずっと過去帳の記載です。一昨日、過去帳を預かったご門徒さんのおじいさん、おばあさんの名前と法名を記載しました。「お2人が求められた仏さんを、お孫さん(といっても70代の方ですが)がきれいにするといっておられますよ。よかったですね」と私から報告しました。

明日も春彼岸法要の案内、そして、4月発行予定の西法寺通信第16号にもそろそろ取り掛かろうかと思います。それとお寺フェスのチラシ作りにも。そうこうしている間に、2月はあっという間に終わりそうですね。

世界遺産 本願寺の不思議

午後、光賢寺さんで研修会がありました。昨年11月に継職法要でお参りして以来です。ご住職さんは以前、本願寺で働いておられました。今日は「本願寺の不思議」と題した講演をされたのですが、「へぇー」と思う話がたくさん聞けました。

豊臣秀吉が寄進したといわれる左甚五郎が制作した三面大黒天の像があったそうです。しかし明治6年、豊前の豪商の手に渡ってしまった、とか。

日光東照宮で甚五郎の眠りネコをみたことがあります。本願寺にも以前あったとは知りませんでした。「なんでも鑑定団」にでてこないですかねー。

本願寺には樹齢400年の大銀杏があります。1788年、天明の大火で京都市街地の8割が焼けました。この大火から銀杏が本願寺を守ったと伝えられています。銀杏は耐火性が4段階で最高の「特に強い」に分類されるそうです。

お寺の境内に銀杏をよくみかけるのには、そういう理由があるのです。

ところで、街路樹としてみかける銀杏は低い枝を剪定するから上に伸びるのであって、本来、枝は横に伸びるそうです。

3月末の本山参拝ツアーに向けて情報をインプットできました。

舟、シカ、山、傘?、ひょうたんと魚、タカ

戦争開始から1年

ロシアがウクライナへの侵略戦争を開始してから1年が経ちました。

この間、本堂の募金箱に寄せられたウクライナ人道支援募金を朝、郵便局から赤十字に送りました。募金が何らかの力になればと思う反面、もどかしさを感じます。終結には程遠く、いったん戦争が始まれば止めることは容易ではないことを日々、思い知らされているからです。

赤十字から送られたリーフレット

最近、アインシュタインとフロイドの往復書簡をまとめた『ひとはなぜ戦争をするのか』という本を読みました。

薄い本です。手紙なので難しくありません

アインシュタインは「戦争を避けるためにはどうすればいいのか」とフロイトに手紙を送ります。対するフロイトは、欲望を暴力ではなく、文化の発展に向かわせることで戦争を拒否する個人を育てる、戦争を拒否する心を育てるというものです。

そして、「文化の発展を促せば、戦争の終焉へ向けて歩み出すことができる!」と手紙を結んでいます。

手紙の解説を精神科医の斉藤環さんが書いています。

「嘆く必要はありません。私たちは世界史レベルで見ても最高度に文化的な平和憲法を戴いているからです。フロイトすら思いもよらなかった戦争解決の手段、すなわち『戦争放棄』の文言が燦然と輝いています。この美しい憲法において先取りされた文化レベルにゆっくりと追いついていくことが、これからも私たちの課題であり続けるでしょう」

いま日本は、防衛費を2倍加し、世界第3位の防衛費をもつ国に向かおうとしています。

戦前の日本はアジア諸国に攻め入る国でした。戦後は平和憲法のもと、70年以上にわたって他国と戦争しない国として存在し続けています。闘争本能ということばがありますが、戦後の日本人には平和本能とでもいうべきものが組み込まれているのではと思います。みなさんもそうではありませんか。

そのことを政府は見誤っているのではないでしょうか。


100歳のおばあちゃんのお参り

今日の法事に、100歳になるおばあちゃんがお参りされました。大きな声で「正信念仏偈」を称えておられました。おばあちゃんが私に向かって説法しておられます。なんともありがたいひとときでした。お経本の持ち方、手のあわせ方など所作もていねいで学ばされました。本堂にお参りになれた方で最高齢になると思います。どうか今年もお元気でお過ごしください。

昨日、ネコの日に寄せてシマちゃんに登場してもらいました。100近いアクセスとなっており、びっくりしました。朝、玄関先でシマちゃんにお礼をいったところ、「シャーッ」と唸り声をあげ、「にゃーん」と人間向けの返事が返ってきました。まんざらでもないようです。いや、「褒美に美味しいものをくれ」というアピールなのかもしれません。考えておきます。

昨日、葬儀にお参りのご門徒さんから、「13日からマスクを外してもいいということだけど、住職はどうするだ?」と尋ねれれました。あまり考えていなかったのですが、予防という観点から当面はマスクをつけて法務にのぞむようにします。お寺の場合、密になることはそうそうありませんが、読経する場合はマスク着用をお願いしようかと考えているところです。

来週はもう3月です。16日には春の彼岸法要を予定しています。今回はご講師さんもお招きするので、お参りの働きかけをきちんとしなければと、案内はがきを作りました。明日にでも、町内の方にお知らせして回りたいと思います。どうぞお参りください。

吾輩はシマである〜ネコの日によせる

吾輩は、岩井をなわばりにしている猫である。
一昨年まではハチワレのダブ兄さんがこのあたりのボスをされていたが、残念ながら行方知れずになった。そこで、吾輩の出番となった。
パトロールを通じ、サイホウジ関連の古家で生意気なチビが飼われていることや、黒い子猫がその家の縁の下に迷い込み、飼い猫になったことを把握した。また、この家のニンゲンたちが外の猫にも奉仕する感心な姿勢を持ち合わせているという発見もした。このことは、荒野に生きる吾輩の健康維持にも大きく寄与している。


朝はそんなに早くない。明るくなってから玄関先に出向き、仕事に出るおばさんが出てくるまで小屋(専用の箱)の上に座っておく。すだれの裏なので、通行人に気づかれることもない。おばさんが戸をガラリとあけて、吾輩はシャー!と、吠える。するとカリカリと魚の缶詰4分の1が出る。缶詰は3匹の飼い猫たちとのシェアだ。
雪が酷い日は、自主的に玄関の中に入っておく。飼い猫たちは格子戸ごしに会いに来て、黒猫などは前脚を伸ばしてくる。ずいぶん大きくなって、灼熱の庭で見守ってやった恩を忘れているのだ。
天気の良い日は、冬でも中庭が最高だ。あたたまった岩や積んである枯れ草、まとめた古雑誌など、寝床にも事欠かない。

夕飯は、まちまちだ。
寺から帰宅する坊さんと会えた時は、その場でカリカリが供されるし、会えない時は暗くなるまでにカリカリが皿に入れてあることが多い。

吾輩が立ち寄れなかった日は心配されているようだ。ここの飼い猫でもないのに、おせっかいこの上ない話だ。だが、「シマちゃん」と呼ばれたら「ニャーン」とねぎらいの声をかけてやることにしている。

では、またの機会までおさらばだ。

ご主人の南無阿弥陀仏

先ほどお通夜のお勤めから帰ってきました。

朝、ご自宅の仏間にうかがって臨終のお勤めをしました。お仏壇の横に、「南無阿弥陀仏」の軸が掛けてありました。どなたが書かれたのかと目を向けるとご主人の名前が記してあります。地域の習字教室で書いたものとうかがってびっくりしました。とても上手な書なのです。

「普段は買い求めた軸を掛けているんですが、今日は私の書いたものを掛けました」

臨終のお勤めが終わり、人となりや、闘病の日々のお話をうかがいました。
ご往生された奥さんは、地域の公民館の主事として、地域のために献身されたそうです。ご自身も書道や絵はがきを楽しまれたとか。その影響なのか、ご主人も公民館の書道教室に通われたそうです。大学生のお孫さんは、幼かった頃の楽しい思い出を話してくれました。

ご主人は、どんな気持ちでこのお軸を掛けられたのでしょうか。会館でのお通夜の読経の際、そんなことを考えながら「阿弥陀経」を読んでいると胸が詰まりそうでした。

明日は葬儀です。いつものように大きな声で勤めさせていただきます。

元気いっぱいに泳いでいます

朝、本願寺に送る書類をもって郵便局へ。局内には魚の赤ちゃんが飼育されています。なんだかわかりますか?

町内の小田川はかつて魚の住めない川でした。上流に鉱山があった影響です。1971年の閉山後は坑廃水処理施設ができ、川の浄化もすすみ、今は魚たちの泳ぐ姿が見られます。

この赤ちゃんたちは、町内の小学校、公民館などで飼育され、小田川に放流されます。

もうお分かりですね。サケの稚魚です。毎年3月に「小田川・荒金川に魚を蘇(よみがえ)らせる会」の方たち、そして地元の小学生らが放流し、4年後の秋にまた戻ってくるのです。1匹でも多く帰ってきて欲しいものです。

夕方、ご門徒さん宅にうかがい過去帳をお預かりしました。外は寒く、強い風が吹いています。予報通り雪が降るのかもしれません。