網の目の法則

お寺には本堂と庫裡(くり)があります。本堂とは仏様が安置されています。庫裡は居住スペースでもありますが、門信徒のみなさんが気軽に使っていただける集会所のような部屋もあります。

長年、座卓であった集会所を思い切って椅子と机にすることにしました。

本日、まず椅子が到着。

ベトナムで作られ、輸送され、この地までやってきてくれました。たくさんの人たちの手を借りて。

数年前に話題となった『君たちはどう生きるか』では、「網の目の法則」という話が出てきます。

私たちは気がついていないだけで、実は無数の関係性の中で生きる、生かされている存在である、主人公のコペル君は気づくのです。

この本が書かれたのは戦前のこと。日本が本格的な戦争に突入する手前のことです。

作者はいいたかったのでしょう。誰のいのちも平等、支え合って人は生きていることを忘れてはいけない、と。

そのことを忘れた時、人類は、自分で自分を苦しめる行為に走ってしまいます。

遠い国からやってきてくれた椅子をダンボールから出しているとふと、そんなことを思うのでした。

灯りをかえてみると

継職法要までにできる掃除はしておこうということで、かなり暗かった玄関の灯りをLEDに替えました。

すると、気がつかなかった蜘蛛の巣が。

仏教では仏の光に照らされることで、それまで気がつかなかった自分が映し出されるとよくいいます。

見ようともしていなかったものが、見えてくる、といえばわかりやすいでしょうか。

もちろん、そんな大層なものではありませんが、いままで曖昧にしていたところもなるべくきれいにして当日を迎えたいと思います。

退任式の案内


ゴールデンウィーク2日目、岩美町は春らしい天候です。

このほど現住職が退任するにあたり、本山である西本願寺から退任式の案内が届きました。

現住職と坊守が参加することとなり、宿の手配をしました。

次の代に継職できるということは、支えてくださる方たちがあってのことです。

あらためて感謝の思いを深くする案内でした。

が、、、

「それまで生きているかわからん」

住職は、諸行無常というより、冗談半分で申しておりました。

立っているわけは

浄土真宗の阿弥陀さんは立っておられます。

今日のご法事の際に、なぜなのか、お話ししました。

待っているのではなく、仏の方から救っていく。

それは仏の心を持てない私、私たちのためです。

「素晴らしい教えですね」

お参りされたご門徒さんがおっしゃっていました。

逃げていく私を追っかけてきて抱きとめる。

一つ一つのいのちに、そんな接し方をされている。

阿弥陀仏とは、そういう仏様です。

33回忌をお勤めして

本日は33回忌のお勤めがありました。
亡くなられてから32年たってなお法事をしていただくことをありがたく思います。

人間の寿命は長くなっていますが、死者の寿命はどうなのでしょう。
生きていることが全てになってしまっていないか。

そう感じることがあります。

私まで命が受け継がれたことの不思議さ、
ありがたさを思い、だからこそ、どの命も大切であると受け止め、

そっと手を合わせることが、もっとあってもいいのではないでしょうか。

ブログを開設しました

はじめまして。

浄土真宗本願寺派の西法寺ブログです。

鳥取県の東の端、兵庫県境の岩美町岩井にあります。

5月19日には継職法要を行うことになりました。

「代替わり」と表現すればわかりやすいでしょうか。

それも一つの縁としてHPとブログを開設することにしました。

といっても、当面は試運転になります。

私は、第15世となる予定の釈大朗(しゃくだいろう)といいます。

東京で長く過ごし、一昨年は京都で1年間、浄土真宗について学び、

昨年4月に帰ってきました。

新米の僧侶ですが、今年50歳になりますので若くはありません。

これからよろしくお願いします。

南無阿弥陀佛