お寺の掲示板(5月)

きょうは月末ですが、5月の掲示板はこれでいきたいと思います。

本願寺派が作成したメッセージポスターです。

いま 私にできること

私のいのちを 大切にすること

他の人の いのちを 大切にすること

自分は大丈夫と 過信しない。

必要なものは 人と分かちあう。

根拠のない情報に 振り回されない。

不安が生み出す偏見や差別の心を 持たない。

厳しい状況の中 力を尽くしている方々に 感謝する。

ポスターには、そのように記されています。不安が恐怖と排除を生み、あからさまな差別的言動が見受けられます。一部では、エスカレートして行動にまであらわれています。戦前の時代には、デマにより朝鮮人を殺害したり、隣組でおたがいを監視しあったりしていました。こういうことをみていると過去の愚行を繰り返さない保証はないのではと、とても危惧しています。

誰だってうつるかもしれないし、うつすかもしれないのです。差別したり、排除したり、密告したりする前に、私には、あなたにはできること、やるべきことがあると思います。いま社会に必要なのは、弱いものをいじめる自警団ではありません。

そんなことをこの4月は思っていたので、本願寺派のポスターの見識に、私は救われる思いがします。

「隣る」

朝、NHKの「ここから」を見ました。タレントの中川翔子さんのインタビューです。彼女はいじめ体験を語っていました。


「隣る」


中川さんの言葉です。いじめを受けた中川さんには、いつも隣にいてくれた親友がいて、その存在が大きな支えとなったそうです。
「いじめられている側は、ぜったに悪くない」との中川さんの言葉を、「いや、そうは言っても」といじめられる側に非をもとめる限り、この社会からいじめはなくせないと思います。


中川さんのいう「隣る」。実は、法事で歌う「しんらんさま」にもでてきます。「隣る」ではなく、「となり」ですが。


そよかぜわたる あさのまど
はたらく手のひら あわせつつ
南無阿弥陀仏 となえれば
しんらんさまは にこやかに
わたしのとなりに いらっしゃる

この歌を作曲されたのは、朝の連続ドラマ「エール」のモデル、古関裕而さんです。
歌詞も曲もとても情感があります。涙しつつ歌ったり、聴いている方の姿によくふれます。隣にいる、いてくれているのだなあと感じられることは、あたたかく、生きる支えになるのでしょう。


中川さんに「隣る」との言葉を教えていただき、「しんらんさま」にこめられたメッセージにも気がつかされました。そんな歌を残してくださった古関裕而さんにも深く感謝です。

小動物の転落防止策について

連休、通信教育のレポート作成に突入する前に、先日のナモの冒険に関する顚末を報告いたします。坊守より

【報告】高所に登る小動物の転落防止策について

ネコ科ネコ属
推定年齢9カ月 雌

目的)月齢があがり、体力がついて家屋の梁に駆け上がるようになったが、降りる能力が未発達で、転落リスクあり、安全策を検討した

方法)梁に上れない対策を行うことは構造上困難。柱などに釘を打ち付けて棚をかけることは世帯主が許可しないため、それ以外の手段を検討。
梁の直下に鴨居にかける棚と段ボールを置き、その下に突っ張り型の棚2本を設置。棚は高さを違えて階段様にした。

結果)ネコは、段ボールまではスムーズに降下したが、棚には恐怖を示した。世帯主が、カツオ生節(コンビニエンスストアで入手)で誘導し、棚への足の運び方を訓練した。
ネコは以降数日間、棚の移動ができなかったが、4日後、段ボールから棚へと方向転換しながら、自力で床に降りることができるようになった。

考察)「転落防止」という最低限の目的は達成した。
ただ、ネコは降下時にのみ、棚を使用しており「安全安心に高所に昇降する」という保証はない。
今後の課題は、棚の補強。釘は使用できないため、棚には不安定性がある。
また、設置者は、方向転換や後退が苦手なネコの特性にさほど配慮しなかったため、得意な動線にあわせた棚の組み替えが必要である。
ネコ本人は、一定の満足を得ているとみられる

(以上)

僧侶の会議もズームに?

新型コロナウイルスの感染拡大のなかで3密を避けるためオンライン〇〇がすっかり日常語となっています。

僧侶の集まりも今後のことを考えてZoomでできるようになろうと、先日、下準備をしました。私はあかるくないので、鳥取東部の本願寺派寺院の集まり・因幡組(いなばそ)の組長(そちょう)さんの指導のもとセッティングしました。便利なものだなあと感心するばかりです。

Zoomって言われても最近までなんのこと?だったのですが、莫大な利益を得ている企業だと知りました。米国のシンクタンク「政策研究所」は、最裕福の34人のうち8人をパンデミック・プロフィティアーズと命名したそうです。感染症拡大で暴利を貪る者。Zoomの創始者もその一人です。

貧富の格差の拡大が感染爆発の背景にあるとアメリカでは報じられています。危機的な状況の中で、その日ぐらしの人たちは感染の恐怖にさらされ、真っ先に職を失う。技術を駆使して新たなコミュニケーションツールを開発した人はますます富む。

Zoomという単語には拡大、縮小という意味があります。貧富の格差は拡大ではなく縮小しなきゃと思うのでした。

西法寺ミニ農園(仮称)

GW中は法事の予定はほぼありません。どこのお寺さんも似たような状況ではないかと思います。京都から山陰の寺院のところに仏具や衣体の販売で来られる業者さんが昨日、うちにも立ち寄られ、「4月はきびしいですわ」とこぼしていました。

昨日は午前中、カミュ『ペスト』の第2章を読み、午後は畑仕事。

西法寺ミニ農園(仮称)で耕運機を動かしウネをたて、野菜を植えました。サトイモ、プチトマト、ズッキーニ、ピーマン、オクラです。イノシシ、シカ対策をしていないので、さてどうなるか。うまく育ってくれるといいのですが。

あとは今年もひまわりを植えます。

東大寺の祈り

東大寺が宗派の枠をこえ、正午に祈りを捧げようと呼びかけ話題になっています。

4月9日は大仏開眼の日でした。疫病やわざわいを仏の力によって鎮めることを目的として東大寺の大仏は造られました。これほど祈りがふさわしいお寺はないと思います。密閉されたような社会の雰囲気を吹き飛ばせたらというよびかけには共感します。

親鸞聖人は40代前半の頃に、『浄土三部経』を千回読誦しようと思い立たれ、実際に読み始め、しかし数日でやめられています。世の中に飢餓や疫病、自然災害が広がっていたから、どうにかして救いたいと考えられたのでしょう。

読むのをやめたことを従来、真宗では、仏の救いにある(他力)のだから、自力でなんとかするという人の執心を反省されたのだと解釈します。しかし、本願寺総合研究所の丘山新さんは、「現代の私たちが読み取るべきポイントは、親鸞の、共に生きる人々への変わらぬ思いではないか」(『本願寺白熱教室』167ページ)と指摘されます。私はこの指摘に、深く共感しています。

自分の祈りには、病気を治す力はまったくありますん。けれども苦しんでいる方を思うことはできます。患者さんをなんとか助けたいと力を尽くして献身されている方、日常生活を守るために働いてくださっている方に感謝することもできます。正午にできるときは本堂で、仏壇の前で、できないときはその場で手をあわせなんまんだぶととなえたいと思います。

そして、それ以外にも自分にできることを見つけて実践しなければと思います。

親鸞聖人が手紙に記した「祈り」については4月9日にブログでとりあげました。

https://bit.ly/2yLLyqg

「我慢の先頭に」発言にふれて

山梨県知事さんが給与を1円にすると表明され、「我慢の先頭に」とおっしゃいます。

もとは仏教から生まれた言葉で、意味が反対になった言葉はけっこうあります。

法螺を吹く…説法の合図。

縁起…物事は関係しあって成り立つこと。

我慢…慢心のこと。他者を軽視するこころ。

文字通り、我を自慢する。慢心して他者をないがしろにすることです。インターネット上にはこういう方がかなりいらっしゃいます。私も気をつけなければなりません。

1円でも知事さんは困らないでしょう。しかし蓄えがない人、給与が払われなくて困っている人はどうすればいいのですか? こんなことで目立つのは、結果として仏教のいう我慢そのものではありませんか。