葬儀をつとめました

今月3件目となる葬儀を勤めました。長く施設で生活されていた方で、私は面識がありません。甥にあたる若い方が葬儀をだしてくださいました。参列されたのはご夫婦と小さなお子さん3人の計5人です。甥御さんは、棺に、障がい者のスポーツ大会の表彰状と、故人の書かれた作品をポストカードにしたものを入れておられました。幼い頃、休みのたびにおじさんは実家に帰ってこられたそうです。体調を崩して入院した際に顔を見たのが最後とのことでした。小さいお子さんたちは面識がないそうてす。よく葬儀をだしてくださいました。そして、長年、ケアに尽くしてくださった施設の方々に感謝申し上げます。

私にも障害を持って生まれたおばさんがいました。昨年、7回忌をつとめました。今日は、祖母が、休みのたびに帰ってくるおばをとても可愛がっていたことをふと思い出しました。

合掌

すべてのいのちは金色なり

朝のお勤めの際、『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』の浄土三部経を毎日、読経しています。『無量寿経』と『観無量寿経』は長いので、数日かかりますが、何度か読み返すうちに少しずつですがスムーズに読めるようになってきました。

今日は『無量寿経』の中の阿弥陀仏の48願を読みました。

実は私、3番目の願いが一番好きなのです。

設我得仏 国中人天 不悉真金色者 不取正覚

たとひわれ仏(ぶつ)を得(え)たらんに、国中(こくちゅう)の人天(にんでん)、ことごとく真金色(しんこんじき)ならずは、正覚(しょうがく)を取(と)らじ。

これを「悉皆金色(しっかいこんじき)の願」といい、全てのいのちが金色に光り輝くことがなければ、さとりを開かない(仏にならない)と誓われています。

なぜそんなことを願われたのか。それは全てのいのちが金色ではない現実があるからに他なりません。

優と劣、損と得、上と下、こうした区分の中に知らず知らずに身を置いて生きているのが私たちです。

阿弥陀さまの願いを受け止めることで、我が身のありように気付かされるのです。そして、「救っていかなければ」と誓われた阿弥陀仏に頭が下がり、手が合わさるのではないでしょうか。さやかではあっても、「自他ともに心豊かに生きることのできる社会の実現」につとめたいと思うのでした。

牧谷窯におじゃまする

今日は町内の牧谷窯へ。陶芸家の杉本さんは練り込みの工法でお皿を作っています。色の違う粘土を練りあわせていく根気の必要なしごとです。

友人にプレゼントするお皿を2枚購入しました。杉本さんのお皿はどんな料理でも美味しく見えます。喜んでくれるといいのですが。

杉本さんは義弟でもあります。いつもご苦労様です。

クスッと笑えるサラリーマン川柳

サラリーマン川柳ご存じでしょうか。毎年恒例、クスッと笑え、世相をあらわした川柳がたくさん。主催は第一生命。優秀作品100句をサラリと読みました。コロナの影響が色濃く現れていますが、川柳だけに、クスッと笑えます。

私のお気に入りの三句は、

ネコの手が デリート押して ファイル消え

ウイルスも 上司の指示も 変異する

巣ごもりで MからLに 服反応

ター坊は3Lくらいかな

空き家の対策は急務です

地方はどこでも空き家が増えています。その数は全国で849万戸にも。利活用方法(賃貸、売却、二次的利用など)も定まっていない「その他空き家」は、349万戸(2018年住宅・土地統計調査)


うちの近所も同様です。ある空き家の瓦が剥がれ落ちそうで危ないのではとの相談があり、私も確認し、昨日町役場にメールを送りました。きょう役場の担当の方から連絡をいただきましたが、基本は家主さんに対応していただくしかないとのこと。危険家屋については代執行で解体・撤去することができるそうですが、そこに至るまでにはいくつかの段階があるそうです。


岩井は温泉地ですが、その表通りにも、全く手が入っていない空き家があります。景観面も安全面からもなんとかならないものかと、その前を通るたびに思います。役場の方はそのこともご存知のようですが、持ち主の方にお願いをしている段階から動きはないようです。解体するにも費用がかなりかかるでしょうから、家主さんまかせでは難しいと思います。行政が住民とともに対策を進める仕組みができないものでしょうか。そういう実践例がどこかにないでしょうか。

お墓じまいのお勤めでした

今日は朝、お墓じまい(閉墓)のお勤めでした。町内の墓地にお墓を移されるとのことで、田後のお墓は閉じることになります。村の墓地の上の方にお墓がありました。大きくて立派な黒御影石の墓石でした。石材店さんによると、「百あるお墓の中でも、こんなお墓は一つ二つしかないです」とのこと。しかしながら新しいお墓には持っていくことができないそうです。残念!

施主さんは80歳を越えてもなお、海で漁をされています。今は冬なのでお休みです。あたたかくなったらまた海に出るそうです。以前娘さんから、「携帯が使えなくなったら、危ないし、スマホは使えないだろうし、どうしようかと思っていたけど、あと何年か携帯が使えるようになったので、よかったです。父は海が生きがいですから」とお話しでした。

「新しい墓ができたら、お寺さん、またたのみますで」と施主さん。

ますますお元気でお過ごしください!

「しんらんさま」を歌う

葬儀が終わりました。
いつものように最後は『しんらんさま』を歌いました。

帰り際に施主さんご夫妻が、「『しんらんさま』、亡き母がよく歌っていたことを思い出しました」とおっしゃいました。

お母さんはどんな気持ちで歌っておられたのでしょうか。

1番の歌詞は、まだ働き盛りの頃、2番は、亡き方との別れを思い出しながら、そして3番は、いよいよ自分のいのちがもう長くはないとの現実を突きつけられたときのことを歌にしているのだと、手前勝手な解釈をしています。そのどんなときにも、親鸞聖人は寄り添い、ともに笑い、泣き、お念仏を称えられているのかなあと想像してみると、あたたかい気持ちになれるのです。

歌詞もいいですが、歌うともっといいですよ。作曲は古関裕而さんです。
昨年の秋のお寺のコンサートで、大須賀ひできさんが歌った「しんらんさま」

ぜひ、聞いてみてください。

お通夜のお勤めでした

大正時代に生まれ、ご生涯をまっとうされた方のお通夜をお勤めしました。この時代に生まれた日本の男性は1500万人あまり。うち戦争で亡くなった方は200万人を超えます。カムカムエブリバディの安子のように戦争未亡人となった女性も少なくありません。

浄土真宗をはじめとした仏教教団は、戦争に進んで協力し、ご門徒を戦地に送り、国のために死ぬことを奨励しました。西法寺のご門徒さんも若くして亡くなられた方がいらっしゃいます。

本堂の内陣の輝く金の色は、全てのいのちは尊く、みな、お互いに光り輝いていることを表しています。無量光明土、お浄土という世界です。そのことを全く忘れ去っていたのが戦争の時代だったと思うのです。その時も、いのち真実に気がつけ、気がつけ、と阿弥陀様は声を上げ続けておられたのです。人間は間違うということを直視しなければなりません。

戦争の時代、そして戦後と生き抜いてご往生された亡き方のお通夜の席で、改めて誓わなければならないことがある、と思うのでした。

継続していかなければ

コロナの第6波の中、葬儀は「家族葬を行いました」と事後の案内であったり、事前の案内では「焼香の時間は○時から○時」といった状況が当たり前になっています。葬儀の規模はより小さくなっています。コロナが仮に収束しても、状況はそれほど変わらないでしょう。葬儀のない直葬、無宗教によるお別れ会なども増えていくものと思います。


昨日の法事の後、家族の方から「葬儀の時に住職さんが配られたプリントを、お参りできなかった親せきにFAXしました。『こういうものがあるとよく分かるなあ』と喜んでいましたよ」との話をうかがいました。そういう風に使っていただくのはありがたいことです。

通夜と葬儀の際には、A4の紙の表面に収まる分量の法話をつくってお参りされた方にお配りしています。ご家族からうかがった故人様の人柄、ご法名の意味、浄土真宗の教えの3点を、通夜、葬儀後の還骨法要の2回、お話しするようにしています。


2018年の春にこちらに帰ってきて法務を始めたのですが、当初はそこまで気が回りませんでした。あるとき、耳の不自由な方がいらっしゃり、読めるものがないと申し訳ないなと思い立ち、原稿を作るようになったのです。亡くなった方のことを記憶し、記録するという意味も込めています。自分でも読み返すことができますから。


明日は、別のご門徒さんのお通夜です。先程、お経をあげ、家族の方からお話を聞かせていただきました。これからお話しすること、そして、法名を考えるところです。


改善しなければならないことも多くあるように思うのですが、喜んでいただいていることは継続していきたいと思います。

大富豪が「我に課税を」と

週末は法事が4件あります。お話しする内容を何パターンか増やさなければと思っているのですが、まだ2つしかできていません。一つは先日、ブログで紹介した数にまつわるお話、もう一つは、毎月のお寺の掲示板を入り口にしたお話です。後者の方は、明日のご法事の際にと考えているところです。

加えて、何か時事的なトピックから仏教の教えをお話しできないかなあと思っていたところ、こんな話題が。

「愛国的な百万長者」並びに国際NGOオックスファムが発表した書簡のことを報道で知りました。「パンデミック下でこの2年間、世界がとてつもない苦しみを味わう一方で、われわれの富は増加し、公平な税負担をしていると言える富豪はほとんどいない」としています。

仮に、資産100万ドル以上の富豪に2%、10億ドル以上の大富豪に5%の富裕税を導入した場合、毎年2兆5200億ドル(約287兆円)の税収確保が可能となるそうです。それによって、23億人の貧困からの脱却、世界中へのワクチン確保、中低所得国の全市民(36億人)への医療保険・社会保障の提供ができるというのです。

これだけの格差が現実にあり、それを政治の決断で幾分か埋められる可能性がある、ということなのでしょう。

仏教には、自利利他の精神があります。自利とは、自らを利すること、利他とは他者を利することです。自利利他とは、この2つを完全に両立することです。今回のことから考えてみると、もうけをあげることと公正な分配を両立すると言うことでしょうか。

また、お布施とは、喜捨の精神です。お寺や寺院に寄付するとともに、困っている人を救うために差し出すことです。富豪のみなさんが、喜んでかどうかはわかりませんが、困っている人のために捨てるといっているのは間違いないでしょう。

もうお亡くなりになられましたが、哲学者の梅原猛さんは、日本の資本主義が発達したのは、大乗仏教の自利利他の精神があったからこそ、と以前、発言されていました。それが本当かどうか私には見識はありませんが、富を独占するのではなく、分かち合う精神こそ、取り戻してほしいと切に願います。

日本の大富豪の皆さんもぜひ続いて欲しいものです。