5月も終わりです

5月も今日で終わりです。

今月の11日に京都への日帰りの旅でお世話になったご門徒さん宅に朝、お礼にうかがいました。庭の池のニシキゴイが見事です。亡きお父さんが趣味で始められ、それを引き継がれたそう。10歳をこえるコイはビッグサイズです。

その後、網代の墓地へ。墓じまいを検討されているご門徒さんがいらっしゃり、石材店さんに見積もりにきてもらいました。

そして今はらっきょうのシーズン。網代では何人かの方がらっきょう切りをされています。鳥取砂丘はらっきょうの産地としても有名です。

いつもお世話になっているご門徒さんも仕事の最中です。「食べる機会がないんですよねー」「なんでぇ、タルタルソース食べんだか」。たしかに食べないわけではありませんね。

今シーズンの底曳漁は終了。メンテナンスのため陸揚げされている船もありました。

漁業関係のみなさん、お疲れさまでした。

そして午後は銀行に支払いにいった足で岩常の米農家Yさんのところへ行ってコメを30キロ購入。破格の安さでいつも恐縮するばかり。ここには10匹ほどのネコがいます。家の外はたんぼとあぜ道です。ひなたぼっこしたり、いたずらをしたりと、のびのびと暮らしているのです。

田んぼにはコウノトリが飛来することもあるとか。「今度来たら教えますけぇ」とYさん。会えるといいなあ。

今日は岩美町の風景を写真多めでお送りしました。

金子みすゞさんの「土」

「夏になったら暑うていけんのを草はよう知ってるでー。だからいま精だして伸びとるだが」

草刈り中のおじさんが、草の身になりつつ、草刈りをされています。

それを横目に、今日は読書。

先日、本願寺派の宗学院から本が届きました。2018年に龍谷大の大宮キャンパスで、週に一度、宗学院別科を受講しました。真宗のみ教えを学ぶ場です。その後、受講する機会がなく残念に思っていますが、こうした論集を時々、いただいています。

徳永一道さん(本願寺派勧学)の講演が掲載されていますが、金子みすゞさんの「土」という詩がその中で紹介されていました。私は初めて知る詩でした。

こっつん こっつん ぶたれる土は

よいはたけになってよい麦生むよ。

朝からばんまでふまれる土は

よいみちになって 車を通すよ

ぶたれぬ土は ふまれぬ土は

いらない土か

いえいえそれは 名のない草の

おやどをするのよ

すごいですね、この詩。

徳永さんは、みすゞさんの詩は仏教から出て来たものであり、「仏教の真髄を、優しく、しかも子どもの言葉で表現した人はいない」と述べています。

畑の雑草をみるにつけ、「せっかく土をたがやしたのに、これじゃあ何にもならないよ」と嘆いているような私です。

自分のはからい、都合ばかりから物事をみていては、本当のことなど分かりはしないということなのでしょう。

安楽浄土にいたるひと

今日は午前中、網代での納骨法要をお勤めしました。ご夫婦お2人分の納骨です。お亡くなりになったのは昨年のこと。

ご主人は家事をこなす方でした。奥さんはいつも仲間内でうらやましがられていたそうです。奥さんが亡くなられた際、いっしょにお経をあげ、念仏を称えました。その後、一年を待たずにご主人も亡くなられました。コロナ禍のなか、別れ際に会えなかった娘さんに、看護師さんを通じて「ありがとうと伝えてください」との感謝のことばをのこされました。

夫婦で本願寺にお参りされ、生前の法名をお持ちでした。網代道場にはご主人が寄贈された掛け時計が今も時を刻んでいます。

お経をあげながら、そんなことを思い返していました。

今も私たちを導いてくださっていらっしゃるなあとの思いにかられて、親鸞聖人の和讃を墓前でよみました。

安楽浄土にいたるひと 五濁悪世にかえりては 釈迦牟尼仏のごとくにて 利益衆生はきわもなし

これからも、よろしくお導きください。合掌

5月最後の週末です

今日は朝から慌ただしく過ごしています。

まず、頼まれていた過去帳への記載です。
「薄い過去帳はありませんか」とのご希望を受け、市内の仏具屋さんが対応してくださるとわかり、注文したものを金曜に受け取りました。一般に市販されているものと比べて厚さは半分程度です。これはいいことを知りました。今後も希望があれば応えられそうです。記載の方は1時間ほど机に向かって完成。水曜日に届ける予定です。

その後、午前中は50回忌のお勤めです。
若い頃、海の事故で夫と死別し、残された奥さまは子育てをはじめとして、さぞ大変なことがおありだったと思います。以前は、本願寺にもよくお参りされたとのことで、いい思い出として残っているそうです。前住職とおしゃべりして帰られました。

昼から逮夜参りに出かけようと玄関からでがけにお客さんがありました。過去帳への記載をお願いされ、来月の法事の際にお渡しすることにしました。「住職、小遣いも入れといたけえ、お願いするで」とのこと。フランクなご門徒さんなのです。ちなみにお布施ですから、私の小遣いにはなりません。

午後は、逮夜参りでした。故人さまのご自宅の仏間にうかがったのは、本当に久しぶりでした。手を合わせ、ご兄弟や親族の方がたと一緒に『阿弥陀経』を読み、少しお話しさせていただきました。

逮夜参りはこのところ依頼されることが少なくなっています。葬儀→逮夜参りはなし→四十九日というのが普通になってきました。呼んでいただけるのはありがたいことです。

仏間でのお勤めは、お寺参りとは違ったよさがあります。本堂では読経される方はあまりいませんが、自宅でお勤めすると、多くの方が声を出されます。

「後片付けが大変です。だいぶきれいになりましたけど」とのこと。その話題にちなんで、掃除三昧を通じて高僧となった周利槃特のお話しを少し

「自分の名前は何だっけ?」と覚えられないような方だったそうです。愚かさに涙する姿にふれたお釈迦さまは、「世の中には、自分が愚かさを自覚していないものが多くある。愚かさを知ることはとても大切なことだ」とお釈迦さまから慰められます。そして一本の箒を渡され、日々、「チリを払い、アカを除かん」ととなえながら掃除をするようにとすすめられます。周利槃特は、尽きることのないチリやホコリにふれる日々の中で、尽きることのない煩悩、汚れている自分の心に気づかれたのです。彼が亡くなると、お墓から名前のわからない草が生えてきました。草かんむりに名と何。いつの頃からかこの植物は茗荷と呼ばれるようになったんですよ。

お釈迦様と周利槃特の話は、自分で話していても、本当に考えさせられます。

明日は納骨のお勤めが網代であります。これで今月の予定されているお参りは最後になります。

ゴールデンウィークをはるか昔のことのように感じる5月最後の週末です。

不平等の拡大にあぜん

国際NGOオックスファムの報告書が23日に公表されました。それによると、保有資産10億ドル以上(1280億円)の億万長者は2年前に比べて573人増の2668人に。保有資産の合計は約12兆7000億ドルにも。日本円換算で1625兆6000億円です。

モデルナやファイザーは、「1秒間に1000ドルの利益」を上げています。ワクチン開発に巨額な財政援助を受け、しかも独占価格で特許は手放さないのですから、もうかるはずです。世界的な原油高のなか、BPやシェルなど石油大手は空前の利益を上げたそうです。日本でも石油元売り3社は史上最高益です。

この一方、2022年には世界で新たに2億6300万人が極度の貧困に追い込まれると推計しています。世界的パンデミックのなかで、莫大な富の蓄積と貧困の拡大が同時進行する異常な状況です。

オックスファムの報告書は、各国政府に対し、恒久的な富裕税の導入、累進課税の強化を求めています。

この間、鳥取市内で2回取り組んだ食料無料市ですが、SOSを訴えるラインが実行委員会に寄せられたそうです。

もうかっているところには課税を強化して再配分するのは政治の大切な役割のはずなのですが。総理のいうところの「新しい資本主義」っていったいなんなのでしょうか。

意見交換会に参加しました

僧侶の意見交換会に出席しました。11回目となる今回でひとまず最終回。鳥取の養源寺さんを講師にオンライン法要実践編です。

養源寺さんでは一年半ほど前からオンライン法要をスタートさせたそう。YouTubeやライン配信により、本堂にお参りできない方がスマホやパソコン上で法要に参加できるようになっています。300人の方とオンライン法要をご縁にしてつながったというのですからすごいことです。

ライブ配信の手順を動画で説明されました。大変わかりやすい講義でした。その後、参加者が実際にライブ配信を体験しました。

うちもライブ配信できるようにしていますが、実際に行ったことがありません。道具はすべて揃っていますが、周知をあまりしていませんので、まずはやってみないといけません。夏のお盆法要から開始できるように、みなさんに案内してみようかなと思います。

このブログを読んでくださっているみなさんにも後日、案内しますので、動いている住職を見てみたい方は、よろしくお願いします!

この意見交換会はメモワールイナバさんが呼びかけて一年半、回を重ねて来ました。コロナ禍のなかでも、お寺という密になりにくい場所で有意義な時間を過ごせたように思います。感謝。

暑い1日でした

今日は早朝というか、夜中にナモに起こされて1日が長いです。

朝、スーパーに買い物にいったところ、網代のご門徒さんの姿が。「〇〇さーん」と声をかけたところ、「住職さん。病気をすると食べるもんがおいしく感じなくて困りますわ」とおっしゃいます。カットされたスイカを買い物カゴに入れておられました。何かとお世話になっている方なので、今度おみやげをもっておじゃましようかと思います。

そのあと銀行により、寺に帰って、会計作業や法事のお礼ハガキを書き、部屋の片付けをし、過去帳を書き、区長さんとの相談事をすませたり、インターネットの講座を受講したりといった日中でした。

暑い1日でしたが、夕方は涼しい風が吹いています。いま、本堂の階段に座ってブログを書いています。

鐘撞堂の修繕も、あと少しで終わりそうです。昭和60年に建立して以来の修繕です。きれいになったところを来週には見ていただけるのではないかと思います。

葬儀をおつとめして

今月4件目となる葬儀をおつとめしました。
1か月の間に4件の葬儀は2020年5月以来のことです。

荼毘に付される前、娘さんが「お母さん、熱くないかな」と涙していました。
最後の1日を病室で共にされたということです。呼吸が薄れゆくお母さんに、「頑張ったね」と声をかけたとうかがいました。

嫁いできて、朝から夕方まで、長年フルタイムで働いたお母さんでした。しつけは父の仕事でした。母はほんとうにのんびりとした人でした」

一昨日の臨終勤行の際、娘さんからお母さんの思い出話をうかがいました。「聞かれると、思い出すことがいろいろとありますね」

母を思う気持ちは特別のものかもしれません。

もう4年前のことです。2018年の4月、東京からこちらに帰ってきたばかりの月でしたが、この時も葬儀が多くあり、父はあいにく入院中。私はよくわからないままに葬儀をおつとめしていました。

ある葬儀の際、お母さんを見送った息子さんが、「この2週間ほど、毎日病室に行ったんです。延命治療はしませんでした。母はゆっくりと、穏やかに息を引き取っていきました。人の最後というのは、ああいうものなのでしょうか」と教えてくださいました。「晩年の母は介護が必要でした。私はよく車椅子を押したんです。母は私に『ありがとう、ありがとう』というんですよ。親子なのに変ですよね」。

僧侶という仕事は、普通なら聞くことのできない尊い話に出会うことがあるものなのです。

永代経法要をおつとめしました

坊守です。
住職がお勤めにでましたので、リリーフします。

きょうは、永代経法要と納骨堂のお勤めでした。18人がお参りでした。


『正信偈』をみなであげてから、住職が法話をしました。
「時間がおしてしまって、準備したことが話せんかった!」と、本人は残念がっていましたが「なもあみだぶつ」を伝えていこうや、というテーマにふさわしい内容だったと思います(上から目線?)。


臨済宗の高名な僧侶と門徒のお婆ちゃんのやりとりや、一休さんと蓮如上人(本願寺の中興の祖といわれるこれまた有名人)が友人で、一休禅師が浄土真宗の教えについて質問をし、上人がとんちをきかせた返信をするエピソードが紹介されていました。
なもあみだぶつの教えは、みんなにやさしい、仏教界のユニバーサルデザイン的なもんじゃないかと思ったりしました。

片付けものをして、我が家に帰宅したところ、留守番トリオがいい気分で昼寝しておりました。
忙しくても、かなしいことが世界に満ちていても、このひとたちは平和主義を貫いておられます。

願以此功徳(がんにしくどく)
平等施一切(びょうどうせいいっさいい)
同発菩提心(どうほつぼだいしん)
往生安楽国(おうじょうあんらっこく)