朝から境内の掃除です

6人のご門徒さんにきていただいて、朝から境内の草刈りです。十分な距離をとりつつ。みなさん、お世話になりました。

境内の蓮は、今季いちばんの輝をはなっています。一番喜んでいるのは、小さな虫たちかもしれません。

近所の方が、「朝早く蓮を見に来ておられた人がいましたよ」と教えてくれました。ブログか西法寺通信を見てきてくださったのでしょうか。ありがとうございました。

敵と味方について

オリンピックに出場した選手が、SNS上で受けた誹謗中傷について、「(五輪に)反対する人も知っているし、もちろん分かるし。だけど(誹謗中傷は)見たくなくても見てしまう、勝手に入ってきてしまう、すごく残念だなって、悲しかったな」と涙ながらにコメントされたそうです。コロナ禍のもと、スポーツに打ち込むことも厳しい環境に置かれた選手に冷や水を浴びせる。面と向かってではなく、匿名のネット上で。これは、陰湿ないじめではありませんか。

「あなたと意見は違うけれどもそれを擁護する」というのが民主主義の基本ではないのでしょうか。

私自身も、コロナ禍の中でのオリンピック開催には反対でした。コロナに対処するために、フェアな環境で勝負をするために、ただちに中止・中断するのが良いのではと思います。かといって、頑張っている選手を責めようなどという気持ちは全くありません。

日常生活の上で付き合いのあるもの同士であったならば、誹謗中傷を浴びせることがほぼできないでしょう。自分の素性をさらさずに相手を攻撃する、そんなことのために、この技術は作られたのではありません。欲求不満を解消する道具ではないのです。

「こんなことをしたら相手の方はどう思うだろうか?」という自制が効かない人がなぜいるのでしょうか。

昔なら、「そんなことをしたら仏さんが悲しむで」と言ってくれる方がいたのかもしれません。大きな存在の前に、自分の小ささを知る機会があったということでしょう。今そんなことを言ってくれる方がいればありがたいことです。逆に、自我ばかりが大きくなっているような人と出会って唖然とさせられた経験をお持ちの方もいらっしゃるでしょう。いや、もしかしたら自分もその一人かもしれないのです。

敵と味方、優と劣、美と醜。二項対立で捉えがちの私たちと違って仏の尺度は、「将来、みんな仏となる大切ないのちを生きている。だから、みな平等」です。むさぼりや、怒りや、自分中心の見方で生きるのではないぞ、それに気付けよ、気付けよと私に対してよびかけ、働きかけ続けているのが仏なのです。みなを救いとることができるのなら、自分は毒の中に身を沈めても後悔しない。それを仏のお慈悲と言うのです。

私は、この見方に出会ったとき、恥ずかしさと共に、ああ、これなら多くの人が救われるのではないかと思いました。2500年間、人のこころを見つめ続けてきた仏教というのは、侮りがたしなのです。

人をののしって生きる人を仏教では畜生といいます。世間で「頭のいい人」と言われる人たちの中にも見受けられます。獣のことではありません。

ともあれ、選手、そして個人への誹謗・中傷からガードする仕組みを作ることも、この機会に整備して欲しいと願います。

お祭りムードのなか感染拡大

今日は網代の習字教室の日。お互い距離を取り、マスクをつけてのひとときです。この形が普通になりました。来月は教室はおやすみです。

夕空見てから夜食の箸とる

いまはテレビを見ながら夜食の箸とる、でしょうか。

オリンピック一色のなか、コロナの爆発的感染が心配される状況です。医療現場からは、待っている間に自宅で亡くなる人が広がりかねないとの危機感が。

きょう、政府コロナ分科会の尾身会長は、「政府・組織委員会はオリンピックをやると決定したわけですから、オリンピックの期間中に何とかして感染拡大、医療ひっ迫を防ぐためにすべきことは全て全力でやってもらうことが政府・組織委員会の当然の責任だと思う」と国会で発言されました。

メディアはメダルラッシュを繰り返し報じています。お祭りムードが演出され、危機感が持ちづらいなかでひろがる感染拡大。

とても心配です。

きょうは草刈りデー

本日は暑さも小休止。この時を逃してはもったいない。ということで、草で覆われた西法寺農園の草刈りに精を出しました。

土が見えないほど一面、草に覆われていたのでずいぶんキレイになりました。そうは見えないかもしれませんが。

農園でたくさん咲いてくれたグラジオラスは仏華として大活躍。もとは和歌山のお義母さんからいただいた球根です。

地生えのコスモスが次々、花を咲かせています。

さらに草を借り、耕運機で起こして次の季節の花を植えるとしましょうか。

蓮は咲くのでしょうか

我が家の蓮ですが、葉っぱは巨大に成長したものの、肝心の花がなかなか咲いてくれません。つぼみまでいったものもありましたが、結局枯れてしまいました。

期待できるのは、いまのところ、この一つ。

なんとか花を咲かせてほしいところです。

お寺の蓮は順調に咲いているのですが。何が違うのかなぁ。

直葬のおつとめ

お通夜・葬儀を行わず、自宅や病院、あるいは葬儀会館から直接、火葬場に運び火葬することを直葬といいます。

今日は、火葬場で読経してほしいとのご依頼を受けて私もはじめて直葬のお勤めでした。それだけでは申し訳なく、葬儀会館でも短いお勤めと短い法話をさせていただきました。

お寺との関わりがなく必要性を感じない、金銭的な余裕がないなど理由は様々です。葬儀会館の方は鳥取市内でも増えていると話していました。

葬儀会館は、必要性を感じない、金銭的余裕がないというご家族に、通夜・葬式・僧侶抜きのプランを用意されているわけです。

必要性を感じない方についてはその意思を尊重すべきだと思います。葬式をしたいけれども、金銭的な余裕がないという方、ご家族にはこたえなければと思います。

私は、西法寺はその在り方を問われていると痛切に感じました。

お寺で勉強会

本日は午前から2件の法事、ついで午後はお寺での勉強会と、充実した1日でした。(夜は神社のお祭りの片付け要員です。町内会の組長任務なのです)

お寺の勉強会の方は10人の方に来ていただきました。
親鸞聖人の書かれた『正信念仏偈』について2回目の勉強会です。

この数日、にわか勉強をして、自分なりに発見したこともあったのですが、それをしゃべるというのはまた別です。最初に、そのことをお伝えし、「むずかしい話になるかもしれないです。半分の方が寝たら、僕の負けです。その場合は中止します」と宣言して勉強会を進めました。

幸にして、どなたも寝ることなく、予定していたところまでお話しすることができました。

感想は、「むずかしかった」という方が大半でした。「気持ちのよい時間でした」と感想文用紙に書いてくださった方も。みなさん、よく耐えてくださいました!

次回は9月26日です。にわか勉強でなく、腰を据えて勉強をして当日にのぞみたいと現時点では固く決意しています。

押し入れの片付け大会

坊守です。

昨日から、気になっていたお寺の押し入れに討ち入り…いやお片付け大会!を始めました。
先日のお寺での葬儀で、住職は気づいたことがあったようですけれど、私の方もダメだコリャ!と思ったことのひとつがココ。
お布団類が多くてあちこちに入っているな…(汗)と、気づいてはいたのですが、我々の居住空間ではないために、手が出せないままでした。このたび「片付けてもいい」とハハの許可をもらえましたので、引っ張り出しては洗ったり干したり。
作業途中で住職の妹が立ち寄ったので、「要る・要らない」をジャッジする任務を依頼、引き受けてくれたので、仕事がはかどったのなんの!

きょうも仕事から戻って5回目の洗濯にかかりました。
捨てるものを捨てたら、完了です。

押し入れへの収納は、ふだんから詰め込まず、8割程度にしておくのがよいそうです。布団類をしまうものの素材も、布や不織布など、通気性のあるものが必須。…と、基本的なことをおさえながら、だいたいやっつけました。

ついでに、あっちこっち骨折した集会室の古い古い団扇も、チマチマと縫合しております。

にわか勉強中

次の日曜はお寺での勉強会です。テーマは親鸞聖人の書かれたお聖教『正信念仏偈」。

参考になる本、中央仏教学院時代のノートと資料、2018年に1年かけて学んだ宗学院別科でいただいた資料をひっくり返して、にわかに、そして猛然と勉強しています(苦笑)。

終身僧侶の本分を守り、勉学布教を怠らないことー僧侶の心得です。

ふだん怠っているから焦って勉強しているのです。

まったく情けない話です。

が、以前とったノート、そして、いただいた資料には大いに助けられています。やはり書く、記録するのは大事です。

そして普段はあまり意味を考えずに読んでいる偈文に込められた意味を再確認したり、初めて知ったような発見があったりも。

うまくお伝えできるかわかりませんが、みなさんよろしく。

西法寺農園で地生えしたひまわりです。きょうの法事の仏華になっていました。

暑中お見舞い申し上げます

坊守です。
暑中お見舞い申し上げます。

昨夜、岩美病院で1回目のワクチン接種をしてもらい、微熱でイマイチな体調をごまかすべく、道の駅でこっそりソフトクリーム(今月は抹茶味です)を舐めている最中に、住職から業務連絡が入りました。
「ブログ書ける?」「暗くない話」

住職は、日曜の念仏者のつどいの準備が大詰めのヒト。ブログの代打くらい喜んでやりますが、出されたテーマが非常に難しいではありませんか。

気候危機を感じる連日の猛暑に、収まると思えないコロナ感染症、
開会式が明日に迫る東京五輪に至っては「まだあったか?」と目を疑うほど問題が発生中。

ことがオリンピックで無くても、国民の生命を優先にできない人たちが権力を握っている国(言い切る。医療関係者としては)が、他のさまざまな課題でうまくやれるとは思えない、というガッカリの真っ只中なので、明るい話はなかなか出てこないのです。

あきらめずに社会を直視し、選挙は棄権しないことが、この閉塞の突破口と信じたいと思います。

そういや、十数年前にインタビューしたアルゼンチンの映画監督(「今夜、列車は走る」という作品があります)は、同国の失われた10年を経験し「必ず出口はあるんだ」と話しました。

そんな日々の癒しはやはりネコ。
このごろは彼女も暑いらしく、あちこちで足を伸ばしていて、笑わせてくれます。

こんなことを書いていたら、ワクチンの副反応から、そろそろ脱せそうな気配がしてきました。

みなさまも体調にはくれぐれもお気をつけてお過ごしくださいね。