昨日はお参り前にと玄関の通路の雪をどけていたら、脇腹に激痛が走り数時間動けなかった坊守です。脇腹も捻挫するもんでしょうか?
先週は住職がお寺の掲示板を「殺すなかれ 戦争反対」に急きょ書き換えたことや、両国大使館にメッセージをしたという報告もしていましたが、ウクライナの人たちのことを考えると、何をしていても重い気持ちにおおわれています。
私が好きだった絵本『てぶくろ』が製作された国、チェルノブイリがある国。
ある国がほかの国を攻撃するという理不尽を目の当たりにしたのは、同時多発テロを受けたアメリカが、イラクを攻撃した2003年以来かと思います。
あの時はキャンドルデモやピースウォークがあちこちであり、私も仕事帰りに入れてもらって歩きました。ロシア国内でも侵攻当日から戦争に抗議する人たちが居て、1600人が拘束されたそうです。弾圧覚悟で街頭に立ったロシアの人たちにも連帯を。
戦争は権力者が始めて、命のやりとりをさせられるのは国民です。戦禍の国の庶民の一番の敵は、自国の権力者かもしれません。
昨日は午後から、Twitterデモをしようという呼びかけがあり、本堂裏に居た私も参加しました(「自分の手にメッセージを書いて」という参加条件でこんな風になりました)。

戦争や紛争のニュースにふれるたび「歎異抄」で親鸞聖人が唯円さんに「人を千人殺してみよ」といった十三章のくだりを思い返します。誰かを傷つけたり、命を奪うなどということは認めない世界にしなければ…と思います。
時代によってはそうした発言や意思表示がしにくい空気が強い時があるかもしれません。そんな時こそ、法律も政治状況にも左右されない世界観を持つ(はずの)宗教者には、戦のおろかさを語る役割があるんじゃないかとも思います。