蓮は咲くのでしょうか

我が家の蓮ですが、葉っぱは巨大に成長したものの、肝心の花がなかなか咲いてくれません。つぼみまでいったものもありましたが、結局枯れてしまいました。

期待できるのは、いまのところ、この一つ。

なんとか花を咲かせてほしいところです。

お寺の蓮は順調に咲いているのですが。何が違うのかなぁ。

直葬のおつとめ

お通夜・葬儀を行わず、自宅や病院、あるいは葬儀会館から直接、火葬場に運び火葬することを直葬といいます。

今日は、火葬場で読経してほしいとのご依頼を受けて私もはじめて直葬のお勤めでした。それだけでは申し訳なく、葬儀会館でも短いお勤めと短い法話をさせていただきました。

お寺との関わりがなく必要性を感じない、金銭的な余裕がないなど理由は様々です。葬儀会館の方は鳥取市内でも増えていると話していました。

葬儀会館は、必要性を感じない、金銭的余裕がないというご家族に、通夜・葬式・僧侶抜きのプランを用意されているわけです。

必要性を感じない方についてはその意思を尊重すべきだと思います。葬式をしたいけれども、金銭的な余裕がないという方、ご家族にはこたえなければと思います。

私は、西法寺はその在り方を問われていると痛切に感じました。

お寺で勉強会

本日は午前から2件の法事、ついで午後はお寺での勉強会と、充実した1日でした。(夜は神社のお祭りの片付け要員です。町内会の組長任務なのです)

お寺の勉強会の方は10人の方に来ていただきました。
親鸞聖人の書かれた『正信念仏偈』について2回目の勉強会です。

この数日、にわか勉強をして、自分なりに発見したこともあったのですが、それをしゃべるというのはまた別です。最初に、そのことをお伝えし、「むずかしい話になるかもしれないです。半分の方が寝たら、僕の負けです。その場合は中止します」と宣言して勉強会を進めました。

幸にして、どなたも寝ることなく、予定していたところまでお話しすることができました。

感想は、「むずかしかった」という方が大半でした。「気持ちのよい時間でした」と感想文用紙に書いてくださった方も。みなさん、よく耐えてくださいました!

次回は9月26日です。にわか勉強でなく、腰を据えて勉強をして当日にのぞみたいと現時点では固く決意しています。

押し入れの片付け大会

坊守です。

昨日から、気になっていたお寺の押し入れに討ち入り…いやお片付け大会!を始めました。
先日のお寺での葬儀で、住職は気づいたことがあったようですけれど、私の方もダメだコリャ!と思ったことのひとつがココ。
お布団類が多くてあちこちに入っているな…(汗)と、気づいてはいたのですが、我々の居住空間ではないために、手が出せないままでした。このたび「片付けてもいい」とハハの許可をもらえましたので、引っ張り出しては洗ったり干したり。
作業途中で住職の妹が立ち寄ったので、「要る・要らない」をジャッジする任務を依頼、引き受けてくれたので、仕事がはかどったのなんの!

きょうも仕事から戻って5回目の洗濯にかかりました。
捨てるものを捨てたら、完了です。

押し入れへの収納は、ふだんから詰め込まず、8割程度にしておくのがよいそうです。布団類をしまうものの素材も、布や不織布など、通気性のあるものが必須。…と、基本的なことをおさえながら、だいたいやっつけました。

ついでに、あっちこっち骨折した集会室の古い古い団扇も、チマチマと縫合しております。

にわか勉強中

次の日曜はお寺での勉強会です。テーマは親鸞聖人の書かれたお聖教『正信念仏偈」。

参考になる本、中央仏教学院時代のノートと資料、2018年に1年かけて学んだ宗学院別科でいただいた資料をひっくり返して、にわかに、そして猛然と勉強しています(苦笑)。

終身僧侶の本分を守り、勉学布教を怠らないことー僧侶の心得です。

ふだん怠っているから焦って勉強しているのです。

まったく情けない話です。

が、以前とったノート、そして、いただいた資料には大いに助けられています。やはり書く、記録するのは大事です。

そして普段はあまり意味を考えずに読んでいる偈文に込められた意味を再確認したり、初めて知ったような発見があったりも。

うまくお伝えできるかわかりませんが、みなさんよろしく。

西法寺農園で地生えしたひまわりです。きょうの法事の仏華になっていました。

暑中お見舞い申し上げます

坊守です。
暑中お見舞い申し上げます。

昨夜、岩美病院で1回目のワクチン接種をしてもらい、微熱でイマイチな体調をごまかすべく、道の駅でこっそりソフトクリーム(今月は抹茶味です)を舐めている最中に、住職から業務連絡が入りました。
「ブログ書ける?」「暗くない話」

住職は、日曜の念仏者のつどいの準備が大詰めのヒト。ブログの代打くらい喜んでやりますが、出されたテーマが非常に難しいではありませんか。

気候危機を感じる連日の猛暑に、収まると思えないコロナ感染症、
開会式が明日に迫る東京五輪に至っては「まだあったか?」と目を疑うほど問題が発生中。

ことがオリンピックで無くても、国民の生命を優先にできない人たちが権力を握っている国(言い切る。医療関係者としては)が、他のさまざまな課題でうまくやれるとは思えない、というガッカリの真っ只中なので、明るい話はなかなか出てこないのです。

あきらめずに社会を直視し、選挙は棄権しないことが、この閉塞の突破口と信じたいと思います。

そういや、十数年前にインタビューしたアルゼンチンの映画監督(「今夜、列車は走る」という作品があります)は、同国の失われた10年を経験し「必ず出口はあるんだ」と話しました。

そんな日々の癒しはやはりネコ。
このごろは彼女も暑いらしく、あちこちで足を伸ばしていて、笑わせてくれます。

こんなことを書いていたら、ワクチンの副反応から、そろそろ脱せそうな気配がしてきました。

みなさまも体調にはくれぐれもお気をつけてお過ごしくださいね。

お寺での葬儀が終わりました

部屋の外の愛宕山では、ひぐらしとウグイスが同時に鳴いています。

ひぐらしの鳴き声です

お寺でのお通夜と葬儀が終わりました。ホッとしています。

お参りいただいたご門徒さんから、「お寺での葬式は本当によかった。阿弥陀さんが近くて。私も亡くなったらお寺で葬式してください。息子にもそういっておきますので」と予約をいただきました。

はじめて勤めてみて、できるな、ということと同時に改善しないといけないことがあるように思いました。一例ですが、小さい蝋燭立てがなく、坊守に仏具屋さんで買ってきてもらいました。

ご門徒さんが使える冷蔵庫や小さなキッチンがあるといいかも。それとお風呂ですね。岩井は温泉の共同浴場あるので恵まれていますが、お寺にも利用していただけるお風呂があると安心でしょう。

それにしても本堂にクーラーがあってよかった。なければこの暑さのなか、葬儀を引き受けることはできなかったと思います。

すぐにできることばかりではありません。役員のみなさんとも相談しつつ改善を計ります。

ご往生されたUさんへ。お念仏を忘れなかったUさんがこの度、お寺での葬儀の機会をご用意くださいました。そのようにして住職を鍛えてくださったのだと思います。ご家族は大きな声でお経を読んでおられました。ちょうど2年前の今日、ご主人の13回忌にきていただきました。そして今日がご葬儀になりましたね。あのとき、お寺のバリアフリーに取り組むことを決意したのです。本当にありがとうございました。

お寺での葬儀

今日と明日はお寺での通夜・葬儀となります。以前から、「母親の葬儀はお寺で出してほしい」とお願いされていました。昨日、ご往生され、今日の夕方お通夜となります。

今日は庫裏のお内仏の前で、明日は本堂でのお勤めです。

忘れられない思い出があります。

2年前、97才の身体をおしてご主人の13回忌にお参りされました。私がお経を読む節々で、「なんまんだぶ、なんまんだぶ」と念仏を称えておられました。

お帰りの際、前住職が、「よくお参りでした」とあいさつしたところ、「どちらさんでしたか」と。

人は忘れたとしてもお念仏は決して忘れないのだ、仏さまは忘れないように、このことばを選ばれて私たちに下さったのだと深く納得し、感動しました。

もうそのお念仏を聞くことはできないけれど、大事なことを教えていただいてありがとうございましたという感謝の気持ちを込めてお勤めさせていただきます。

安全運転の意識を高めて

今日は運転免許更新に行ってきました。

講師の方が「みなさんは無事故無違反の方達です。それをどうか続けてください」と話されました。その後、時間をかけて講習を受けました。

まず県内の死亡事故の例がかなり詳しく説明されました。鳥取県は人口10万人あたりの死亡事故の割合が一昨年、全国ワースト2位だったそうです。昨年も今年も高い水準で推移しています。

休憩後、元F1ドライバーの中嶋悟さんのDVDを視聴。中嶋さんは安全運転の三原則として、①よく見ること、②よく伝えること、③身を守ること、をモットーに日々、運転されているそうです。

最後に最近改正された道路交通法について2点-①携帯電話使用等に関する罰則強化、②あおり運転に対する罰則の創設等-についての説明を受けました。

講習を受けて、安全運転に留意しなければとの意を新たにしました。

共命の鳥のこと

今日の法事には小学生が複数。久しぶりに、「共命の鳥」のことにふれました。

阿弥陀経に出てくるこの鳥は、頭は2つ体は1つの鳥です。

仲が悪く、ある時一方の鳥が相手の首を食いちぎってしまいます。

しかし、体は1つですから、結局、死んでしまうのです。

相手を傷つけることは、自分を傷つけることなのです。

いのちはお互い様、つながりの中にあるのです。

小学生が、「あった!」と発見してくれた本堂の共命の鳥です。