大晦日

昨日は冬と思えない天候でしたが、きょうはあられ混じりの雨が降っています。

2019年も残りわずか。

みなさんにとってどのような1年だったでしょうか。

ことし住職となりましたが、職業的にこなしていないだろうかとふりかえっているところです。

親鸞聖人のことばに、「浄土を論ずるものも常に多けれども、その要を得てただちにおしうるものあるいは少なし」とあります。

教えを論じる人は多い、けれどもその通りに生きる人は少ない。

グサっときます。

自省しつつの年の瀬です。

明日は大晦日

坊守です

土曜が仕事納めで、気づけば明日は大晦日…ということで、住職の朝のお勤めに1人と1匹ついていき、本堂のお飾りを迎春モードに整えました。


「除夜の鐘」の張り紙や、掲示板の言葉も書いたので、居間がお習字教室状態に。住職の筆の運びをみていると、お習字の成果が出ているじゃないの!と思えるものでした
(新年以降は、掲示板の言葉もオリジナルにしていきますので、乞うご期待)。とにかく先生に感謝です。

そして、お昼前後でドライブかたがた奥神鍋の道の駅まで買い出しに。ここはお野菜が豊富でお安い。
煮物用に探していたゴボウは、イメージ通りの品がなかったのですが、たいへんなモノを手に入れました。わたしの腕より太いのです。煮れば柔らかくなるそうなので、半信半疑でしたが、これから、筑前煮に仕立てていきたいと思います。

除夜の鐘と百八の煩悩

大晦日は11時30分より除夜の鐘をつきます。町内のみなさん、岩井温泉にこられる旅行者のみなさん、ぜひお越しください。甘酒もあります。

除夜の鐘を108回つくのは煩悩を滅するためと言われますが、浄土真宗ではそもそも打っていなかったそうです。

「正信偈」には、「不断煩悩得涅槃」とあります。親鸞聖人は和讃で「無慚無愧(むざんむぎ)のこの身にて まことのこころはなけれども 弥陀の回向(えこう)の御名(みな)なれば 功徳(くどく)は十方にみちたまふ」と詠まれています。

ここにも示されているように、浄土真宗は自分の力で煩悩を滅することはできず、それを抱えたままに阿弥陀仏に救われるという教えです。

なぜ打つようになったか? 中央仏教学院で煩悩の内訳を1時間かけて説明してくださる先生がいらっしゃいましたが、先生曰く、「世のならいによってつくようになりました」。

先生が配布してくれたプリントを見返すと、細かい字で書き込みをしていました。

百八の煩悩について興味ある方は、写真をクリックしてください。

ネット上では図解して解説されている方もいらっしゃいます。九十八隋眠(きゅうじゅうはちずいみん)で検索するとわかりますよ。

ちょっと理屈っぽい話になりましたが、除夜の鐘は年末年始の恒例の行事として打ちます。それとともに、煩悩から逃れられないこの身を、年の変わり目に、いささかでもみつめなければという気持ちも込めて。

被災地の報恩講記事にふれて

業界紙というのでしょうか。本願寺新報社が発行している「本願寺新聞」に、震災から8年9カ月を経て、福島県富岡町のお寺で報恩講を営んだという記事が掲載されていました。

みなさん嬉しかったでしょう。しかし、今後のことを考えると不安が付きまとっていることと思います。

中央仏教学院の同級生に避難地域からきた方がいました。地震・津波被害は免れたものの、立入禁止区域となり、その後、漏電により本堂は焼失したそうです。

記事を読んで、「原発なんていらないですよ」と怒りを込めて話していた級友の姿を思い出しています。

猫の泉の不思議なハナシ

網代に届け物ででかけました。きょうは強い風が吹きつけています。

海岸を眺めると、岩場の波打ち際に波の花が舞っていました。海中にただよう植物性プランクトンの粘液が冬の荒波にもまれて、白い泡となったのが波の花です。黄色になっていたので、できてから時間が経っているのかもしれません。

猫の泉にもいってみると、私と同世代の方が仕事から帰ってきたところで立ち話。3匹のいずれも野良の母猫から11匹の子どもが生まれたそう。そのうち1匹の母猫は、前日、別の母猫が出産した家の前に、子猫を置いていったらしいのです。「『ここならなんとかなる』と母猫が思ったのでは?」。そして、その翌日、玄関先に、折った花が置いてあったのだとか。

「猫がお礼を置いていったんじゃないかって言われるんですよ」

まさか???

昼食はいつものなだばたさん。今日が年内最後の営業とのことでした。

今年は本当にお世話になりました。なだばたのお姉さん方、よいお年を。

はじめての星空舞

冬場は夜空を見上げても曇に覆われる鳥取ですが、晴れた日には輝く夜空を見上げることができます。

町内の岩常でお米の専業農家をされている方と顔馴染みになり、はじめてお米を買いました。

その名も星空舞です。

農家さんによると、「冷めても美味しいから、おにぎりにしてみて」とのことです。

10キロ3000円。直接買うにしてもあまりに安いので恐縮したのですが、「大丈夫です」とのことでお言葉に甘えることに。

ご飯のことをシャリといいますが、お釈迦様が亡くなり火葬した後に遺った遺骨(仏舎利)が米粒に似ていたことから、そういわれるようになったそうです。

仏さんも、主食であるお米も尊い。作ってくださる方ももちろん。

ありがたくいただかなければ。

愛別離苦

葬儀が終わり、ご家族のみなさんが帰っていかれました。

お釈迦様は臨終にあたって、25年もの間、共に過ごしたアナン尊者が涙にくれる姿にふれ、「嘆くな、悲しむな。すべて愛するものから離れなければならないと、私はいつも説いてきたではないか」と諭したという話が伝えられています。それでもアナンは深い悲しみに沈んでいくのですが、仲間の励ましも受け、後世の私たちに、お釈迦様から聞いた教えを伝えてくださったのです。

お釈迦様とお弟子さんたちのエピソードは数々ありますが、この話は大変胸を打ちます。

悲しみを抱えつつも、亡き人に感謝し、いただいたものを糧にする。そのようにして人は生きていくのだなぁ、と本日も感じさせられるのでした。