○○が待ち遠しい

坊守です

またまた積もってくれた雪は、わりあい早めに消えつつあります。

朝の6時すぎには、野良猫ダブさんが庭先にやってきました。この頃は堂々としたもので、後ろ足で立って、ガラス戸を前足でたたきます。「朝ごはん、まだ?」と言っていることは、猫語が分からない私のような者にも伝わります。

その後は、本堂のお花を立て直し、
ニンゲン2人も朝ごはんをすませて、買い物に行きました。道の駅で茹でたホタルイカが売ってあり、「 嬉しくなってお昼ご飯用に手に取りました。

帰宅すると、網代のAさんがお寺にいらしていると前坊守から電話が。帰りのバスを待ってらっしゃるというので、急いでクルマをまわし、おうちまでドライブしました。「せっかくの休みなのに悪いこと」と、おっしゃいましたが、こういう時間に幸せを感じるタチなので、お礼を言いたいくらいでした。Aさんは、よそゆきのいい匂いをさせていらしたんですが、美容室からお寺に直行したんだとのことでした。

ホタルイカのペペロンチーノを食べたら、残った柚子の収穫をしました(この間は庭に雪が積もり、柚子の木までたどり着かなかったのです)。長くて鋭い棘に刺された住職の指が血まみれ(きゃー)になったりしましたが、1キロほど採れたので、午後からマーマレードづくりを。柑橘類一般はマーマレードになりますが、柚子には柚子向けのレシピがあるそうで、ゆっくり煮詰めました。

さて、きょうの出来事に共通して感じたことがありました。それは「春」。
12月半ばの大雪いらい、寒さにカラダを縮こませるように過ごしていましたが、少し防御をゆるめてもいいかもしれません。


都会で生活していたころは、季節を忘れて仕事に追われがちでした。いまも仕事には追われていますが(笑)、季節をしっかり体感しながらの日々に変わりました。ことしは、春が来る嬉しさも、ひとしおでしょう。

書いて作る

あるご門徒さんとおしゃべりしていた際、「もう一回筆を持ってみたいだが」との声が。「それならいいものがありますよ。本願寺が書写して本にできる正信偈を扱ってますよ」とおすすめしました。本日、手もとに届きました。

私も購入しました。見入ってしまうようなお手本がついています。

完成品は縦の紐綴じになるようです。ところで縦糸と変換すると経糸とも表示されます。これは間違いではありません。もとはインドの言葉「スートラ」(縦糸)を中国で経と訳したそうです。

「正信偈」に、「依修多羅顕真実」とあります。「修多羅」とは織物の縦糸のこと。私にはよくわかりませんが織物というのは縦糸を中心として横糸を編んでいくそうです。その事から縦糸(スートラ。漢字であらわすと修多羅)は真実を顕わす「お経」の意味として使われます。

以上のことは中央仏教学院時代に先生から教わった話です。へぇーと感心したお話でした。

『書いて作る正信偈』は一冊1000円+税です。本願寺出版社より購入できます。以下、注文ページです。

書いて作る勤行聖典 正信偈

これをテキストにした書写会を、なんとか工夫して開催できるようにしたいと思っています。

『武漢日記』を読む

岩井は昨日の夜から雪模様です。

朝の積雪は数センチほどです

1週間ほど前に購入した『武漢日記』をきょうは読むことにしましょう。

この本は中国武漢市在住の作家・方方(Fang Fang)さんが新型コロナウイルスの最初の発生地、武漢から発信した60日間の記録です。都市封鎖の2日後、1月25日にはじまり、3月24日が最後の日です。

2月下旬の日記を読んでいるところです。吹雪に耳を傾けつつ24日分を読んでいると、こんな記述が目に飛び込んできました。

「私は言っておきたい。ある国の文明度を測る基準は、どれほど高いビルがあるか、どれほど速い車があるかではない。どれほど強力な武器があるか、どれほど勇ましい軍隊があるかでもない。どれほど科学技術が発達しているか、どれほど芸術が素晴らしいかでもない。ましてや、どれほど豪華な会議を開き、どれほど絢爛たる花火をあげるかでもなければ、どれほど多くの人が世界各地を豪遊して爆買いするかでもない。ある国の文明度を測る唯一の基準は、弱者に対して国がどういう態度を取るかだ」(140頁)

いま国会が開かれています。私たちの国の政府は、コロナ禍で苦しんでいる人たちにどんな態度でのぞんでいるのでしょうか。

日記には、人々が病に倒れなくなっていく悲しみが、困難の中、支え合い生きる市民への敬意が綴られています。そして真実を隠し、歪める権力者とそれに同調する者たちへの批判が記されています。

武漢で何が起こったのかを克明に記憶した方方さんの『武漢日記』。最後まで心して読みたいと思います。

今年初の習字教室

2週目に予定されていた教室は大雪のため中止となり、きょうが今年初の習字教室でした。

課題は引き続き放哉です。

なぎさふりかえる我が足跡も無く

一日物云わず蝶の影さす

雨の日は御灯ともし一人居る

放哉の句は深い孤独と淋しさをあらわしていると思います。ただ、今のコロナ禍のなかで味わってみると何か安らぎも感じさせられます。そして書いてみるとまた楽しいものです。

習字教室は会員募集中です。第2、第4木曜の午後1時半より。会場は網代コミュニティーセンター。参加費は750円です。

僧侶の意見交換会に参加して


昨日、標記の会がありました。宗派をこえた集まりで、市内の葬儀会社さんがセッティングされた集まりです。昨日で3回目でした。

まず養源寺さんより、インターネットライブ配信のレクチャーと、実際に養源寺さんの援助で年頭の法要を中継した経験が紹介されました。


当西法寺も一応、配信することはできる状況にはありますが、マニュアル化しておりません。いただいた資料をもとにして、復習したいと思います。


葬儀会社の方から最近の話として僧侶抜きの葬儀のようすが紹介されました。「お寺が来る権利はない」と断られた方、そしてお別れ会をされた遺族の事例。葬儀会社としても複雑な思いがあったそうですが、参列された方の感想は、「いままで参加した葬儀の中で一番良かった」。


僧侶が執り行う葬儀は読経中心です。他方、お別れ会のような形態は、故人をよく知る方が心のこもったメッセージを読み上げたり、好きだった音楽をかけたりといった自由度があります。私も若かった時代に僧侶抜きの葬儀を仲間としたことがあります。故人も無宗教の方でしたから、僧侶を呼ぶという発想がそもそもありませんでした。

日本は「無宗教」の方が多いですが、「世間体」という目もあり、宗教儀礼による葬儀が選ばれています。先人から「仏さんを大事に」との教えを受けている方もいらっしゃいます。ですから、取り次寺に依頼してとなる方が郡部では多いでしょうが、それは果たしていつまで続くのでしょうか。直葬は減ることはないでしょう。


鳥取市が永代安置墓を10万円で販売しているという話も聞きました。納骨堂は寺院経営を支える一つの柱になっています。行政による10万円での販売は、お寺にとっては驚異でしょう。永代供養に50万、100万とかけられる人ばかりではありません。


懸命に生きる人たちの苦悩に向き合うことが本来の仏教や浄土真宗の道であると思います。

宗教に期待しない方たちが問題なのではありません。本来の宗教に立ち返り、見直され、つながるお寺を目指していこうとあらためて思いました。

お仏壇のお引越し

朝、田後へ。ご門徒さんが新居に移ることとなり仏壇のお引っ越しとなったのです。新しい家は、これまでの家から距離にして数十メートル。ま

ご近所さんも手伝いに来られて、お仏壇を運び出し、軽トラを少し走らせて新居に設置しました。

先日、本願寺の前にある薫玉堂さんから線香を買いました。戦乱の世、焼き討ちなどにあった本願寺の阿弥陀さんを背負われたのが薫玉堂さん(苗字は負野さん)のご先祖さんです。

それからわずか数日。私は背負ってはいませんが、仏壇を実際に運んだのははじめてのことでした。

お仏壇のお引っ越しに立ち会って、負野さんのご苦労にも思いを馳せるのでした。

自死 11年ぶりに増加

厚労省は2020年の自殺者数が、前年より750人多い2万919人だったと発表しました。女性の自殺者が増えていますが、コロナの感染拡大による経済悪化などがあるとみられます。月別に見ると10月が最多の2199人(前年同月比660人増)です。胸が痛みます。

朝、法事の前の着替え中に、たまたまつけていたテレビで生活困窮者への民間団体の支援活動と利用された方の声が紹介されていました。筑波大学では学生3000人に支援物資を配ったそうです。コメンテーターの方は、イギリスやフランスではこうした事態を見越して、家から退去しなければならないような事態を防いでいると紹介していました。自死者も増えていないそうです。

自死者の増加は、コロナ禍のなか、自己責任で追い詰められている方が少なくないことの反映ではないでしょうか。

私自身、何もできていませんが、この課題については、できることをしなければと考えています。

ヒヨドリがやってきました

ちょっとわかりづらいですが、

庭の雪の上に、半分に切ったみかんを枝にさしたところヒヨドリがやってきました。器用にとまるものです。

ナモはじーっと眺めていましたが、ニャッ、ニャッと鳴いたので飛び去っていきました。

お経には鳥が登場します。『阿弥陀経』に登場する共命鳥は、体が一つで首がふたつあります。もちろん伝説上の鳥ですが、あるとき片方の首がもう一方に噛み付いて両方が死んでしまいます。この話は、あなたがいるからこそ私がある、という教えです。

いのちは持ちつ持たれつです。たいしたおかまいはできませんが、どうぞみかんを食べに来てください。