2021年 ナモのカレンダー

ナモのカレンダーを作成しました。

全国のナモファンのみなさん、どうぞ使ってください。

2月の写真は、プチプチトンネルにご満悦のナモです。

12月4日、ナモがウチにやってきて1周年です。月日がたつのは本当に早いものです。


読んでくださっているみなさんへ

昨日、そして今日は、冬の到来を感じる強風が吹き付けています。届け物で田後にきていますが、きょうはしけ模様です。

さて、ホームページの統計情報によると、昨年11月に当西法寺ホームページを訪問された方は331人でした。それが、この11月は1231人となっています。毎日の訪問者も50人をこえるようになりました。田舎のお寺の小さなブログを読んでくださってありがとうございます。

お寺の掲示板サイトをきっかけに見てくださっている方が多いのでしょうか。

思い通りにならないことを仏教では苦といいますが、仏教や浄土真宗は、苦悩の多い時代をともに生きるための力になるものだと思います。

住職、坊守、そしてナモと3馬力で引き続き書いていきますので、これからもよろしくお願いします。

学生さんにお米を送ります

坊守です。
昨夜の雷雨のせいか、起きたら外は大雪…という夢をみました。タイヤ交換もしてへんから、仕事に行かれへん!と途方に暮れていたところで目覚め、現実は大雨ですんだので出勤。
昼からお寺にとって返して、お米の小分け作業をしました。

というのも、コロナの問題が長引く中、生活が大変になっている若者も少なくなく、わたしの職場が関わっている医系学生たちに、年末の食料支援をしよう、ということになったからです。
お米を何十人分も確保するのは、ひとつのスーパーでは足りないので、どうしようかと考えていたら、住職のまちづくりの会の先輩に米農家のYさんがおられることを思い出しました。お会いしたこともない私が、突然相談したにも関わらず、一俵半、かついできてくださいました。


始終軽口をいいながら作業するYさんでしたが、近ごろ行われ始めた大学生向けの食料支援プロジェクトや、町内の子ども食堂にやはりお米を出しておられると知りました。「良いことばっかりしておられるんですね」と、作業した同僚も驚いていました。

10年前のリーマンショックの前後で、日本でも貧困が社会問題になりましたが、雇用環境の変化で、20年前と比べると、ホワイトカラー層ですら、平均的な収入が100万円単位で下がってきていたといいます。
それを受けてここ数年は、一家の大黒柱が細くなった分、奥さんも子どももパートやアルバイトをして世帯を支えるスタイルが急増。「そんなところにコロナのためにバイトやパートの時間が削られるのだから、どれだけ生活に打撃になるか、想像してください」と、先日、講義を聴いた研究者が話していたことも、お米の重さを計りつつ反芻しました。

政府が税金をうまく回すことや「不安定雇用」のあり方を見直すことが、国民の命を守ることになるとおもいますが、それを待っていては間に合わないことに対しては、Yさんみたいにできることをしたいなと思っています。

過去帳を拝見したところ

お通夜、葬儀がありました。
臨終勤行をつとめた際、過去帳を拝見しました。
過去帳というのは、御往生された方の氏名、ご法名などを記載した小さな法具のことです。

最初のページからめくって拝見していたのですが、昭和19年に亡くなっている方がいらっしゃいました。故人のお父さんでした。年齢は30代前半、戦死です。末の妹さんは当才で亡くなっています。当才とは生まれた年に亡くなった、ということです。

遺されたお母さんは、戦後、ご苦労されたことと思います。そして、幼い頃に父を失った故人も、どんなに大変であったことでしょう。

第二次世界大戦に戦死した鳥取県出身者は約1万4000人います。途方もない人数です。

過去帳に記載された戦死者のお名前をみるにつけ思うことがあります。

人間が「怒り」という煩悩に支配された時、どんなに惨たらしいことをしてしまうのか、ということです。

もともと仏教の精神は、「縁起」、つながりの中に私たちはある、ということです。つながりの中に生き、生かされていることを忘れず、平和のうちに全ての人が生涯を送ることのできる社会をめざしていかなければ。

過去帳を拝見して、改めて強く思いました。

ネコの受け念仏

網代のお墓にクロネコが。お墓を改修されたご門徒さんと墓前でお経を読んでいると近づいてきたのでした。お墓の横に座り込んで動きません。しかもお経の節々で、ニャア、ニャアと鳴くのです。

お坊さんがお経を読んだり、説法しているときに、「なんまんだぶ」と念仏を称えることを受け念仏と呼び、それがこんにち使う「ウケた」のもともとなのだとか。

お礼をしようと近づいたのですが、逃げられてしまいました。

久しぶりの「なだばた」です。ごちそうになります。

お礼は三回

「父は、当日、ハガキ(手紙)、そして後日お会いした際と、お礼を三回していました」と、そんな話をしてくれた住職さんがいらっしゃいました。私もその真似をして、年回法要でお参りされたご門徒さんに今年からハガキを送るようになりました。

もう一点、お礼としてはじめることがあります。昨年冬のお寺の忘年会の際に、「法要に懇志をされた方への受取書をだしてくれないか」「領収書でなくてよいから」との要望がだされていたのですが、ようやく作成しました。今年は寺族を中心にした法要が続きましたが、先日の報恩講では多くのご門徒さんから懇志をお預かりしています。

このような形で作成しました。

親鸞聖人の和讃を入れています。西本願寺に賦課金などを納付した際、その受領書に和讃が記されています。これはよいなあと思っていたので、その知恵を拝借しました。

弥陀の本願信ずべし 本願信じる者はみな 摂取不捨の利益にて 無上覚をばさとるなり

和讃は毎回、違うものをのせたいと思っています。

年の暮れに向けて

今日は朝から雨降りです。
世間では「我慢の三連休」と言われていますが、私自身は、ステイホームならぬ、ステイテンプルで役員会、コンサート、そして昨日、今日は法事と慌ただしく過ごしています。

年回の法事は、12月になるとそれほどありません。来年の年回法要の案内を各ご門徒さん宛に作ること、そして西法寺通信の新年号づくりが急がれるところです。これまではそれぞれ年頭にお配りしたのですが、今年から年内に配ろうと考えているので、いつものようなのんびりペースではいけません。うかうかしていると年の暮れは一気にきてしまいそうです。

そんなことを考えていると、
「とにかくも あなた任せの 年の暮れ」
 熱心な念仏者でもあった一茶の句が、頭に浮かぶのでした。

一茶がいう「あなた」とは阿弥陀如来のことです。

思うようにいかないことばかりの人生において、私には仏様がついていてくださるではないか、だから何があっても心配することがない。そんな一茶の心を感じます。

お寺の仕事というのはどんなことも実務ではありません。仏様の慈悲を感じつつ、それを誰かに取り次いでいくことです。そんなことを頭に入れつつ、年の暮れに向かっていきたいと自分に気合を入れてみるのでした。

柚子が鈴なりです

全く気がついていなかったのですが、庭の柚子がみたこともないほどの鈴なりではありませんか。全然手入れしていなかったのに、なぜ?

桃栗三年柿八年、柚子の大馬鹿十八年とも、柚子は九年でなりさかる、とも言われますが、ほんと、なりさかっています!

とても自家消費できる分量ではありません。自然のお恵に感謝し、お裾分けをして歩きたいと思います。

西法寺 心のコンサート〜10周年

坊守です。本日午後から、「心のコンサート」を開催しました。
演者はお馴染み元デュークエイセス トップテナーの大須賀ひできさん、玉木孝治さん、拓人さんの3人です。

鳥取県内にコロナ警報が出される時期もあり、今年はできるのだろうかとはらはらしていただけに、今日の本番を迎えられたことが本当に嬉しかった!


そして、大須賀さんの声が本堂にひろがると、また別の喜びがわくのでした(ホントにクリアで優しい良い声をしてはるんですよ)。

芸術家の皆さんは、コロナの影響を大きく受けている職業だといえますが、大須賀さんは「ことしは3人でツアーをする機会がほとんどなく、鳥取の3寺をまわるツアー(寺子屋ツアーと呼んでいるそうです)くらいです」と話されました。
休憩をはさんで、住職とのトークタイムもとっていただき、人の心を動かす、音楽の持つチカラについて思いを交換。
ギターを抱えて「しんらんさま」を歌うサプライズも。こんな「しんらんさま」があるのかと思うような素晴らしい歌声でした。
いろんなことが制約される中、生演奏を聴くのは久しぶりで、1時半から3時半まで、あっという間の2時間でした。

明日、明後日と寺子屋ツアーになりますので、鳥取の地で何を歌われたか、セットリストは公開を控えます。

来年はもっとたくさんで、この時間を味わえるようになっていれば…と思います。

みなさんから寄せられた募金は2万5000円でした。赤十字を通じて被災地に送ります。