痛みの所在

坊守です。

尿管の石の破砕術を受けた住職ですが、まだまだ痛むようなので、6月の締めくくりの日記もわたくしでお許しください。
「結石は、カラダの外に出るまでが結石です。気をつけなさい」と、遠足の時の学校の先生の説明のようなフレーズが浮かびますが、ほんとうに出てくれるまでが闘病です。1日くらい代わってやれたらいいのに(住職がんばれ)。

痛みといえばこのところ、涙をこぼす人に遭遇することが続いています。心が痛んでいるのです。
その瞬間、自信をもってかけるべき言葉が口から出ることもあれば、言葉もなく背中をさするしかできなかった人もいます。

年齢も性別も痛みの内容も違いますが、自分が肯定されないツラさが共通しているんだよな…と、思い返すのでした。

この世に誰ひとり要らん存在は無いと考える派ですが、第三者に向けられる肯定感を自分に向けるのは難しかったりして、ニンゲンって繊細だな、と苦笑い。

わたし自身は、家に帰って、ニャウ・ワウと、毎日騒がしくむかえてくれるシマ猫・黒猫になぐさめられてやっと、半径3メートル程度の人たちを気遣うことくらいしかできません。そんな小さな円でも、あちこちにあれば、いいのかな。

香箱座りでウトウト始めたナモに話しかけてもお返事はありません。

市立病院へ

結石の破砕のため市立病院へ。一応、手術なのですね。体外衝撃波破砕術と申込書にはありました。機械で衝撃波をあて、石を小さく砕くそうです。時間は30分ほどでしょうか。パン、パンと音がします。痛みは感じません。なぜ石だけ砕けるのか、不思議だなあと考えつつも、自分では答えがわかりません。治療が終わると次の方が外で待機されていました。同志ですね。

次回は2週間後。経過観察し、かりにうまく砕けていなかったら再度、破砕するとのことでした。

石がうまく出てくれるといいのですが。

蓮が咲きました

一輪目となる蓮の花が、今朝、咲きました。

葬儀の際に読む和讃には、

如来浄華の聖衆は 正覚のはなより化生して

 衆生の願楽ことごとく すみやかにとく満足す

とあります。

阿弥陀仏の浄土の聖者がたは、さとりの花からおのずと生れ、あらゆる願いが速やかに満たされる。

泥の中から美しい花が咲くのはなぜなのでしょうか。煩悩に汚れた私を育て、花を咲かせるはたらきをしてくださっているのは、どなたなのでしょうか。

これから葬儀のお勤めです。

泥の中から立ち上がる

今日は午前中に50回忌のお参りでした。息子さんが施主です。親の50回忌を勤めることは、そうあることではありません。毎年、ご命日にあわせてお墓参りも続けてこられたそうです。「来年以降はどうすれば?」とのお尋ねがありましたので、「可能な限り続けられたらいかがですか」とお話ししました。帰り際に、「参るたびにお寺がよくなってますな」と。蒸し暑くてクーラーを稼働させていたので、そう感じられたのかもしれません。

午後はお通夜に持参する法名板への記入、お話しする内容など考えているところです。

外は雷と、時折、激しい雨が降っています。鳥取市内でのお勤めですから、道中、あまりひどい天気が続かなければいいのですが。

境内の蓮は、泥ののなかから、花をつける花柄が立ち上がってきました。あと数日で咲くのではと楽しみにしています。

暑い暑い

坊守です。

あちこちの友人から「暑い」「しんどい」というギブアップ表明のメールが入ってきますが、わたしももう、暑さで何もかもダメな感じです。群馬県の友人は、昨夜おそくに「まだ気温が31℃を超えている」とボヤいていました。
観測史上初の6月の40℃超え、という記録が出てしまったのですから、カラダに夏のスイッチが入るまで、涼しいところで、水分をしっかりとって、ボチボチ過ごしましょう。

この週末、私がとりくんだ家事は、玄関土間の水洗い、洗濯4回、カーテンの洗濯、西法寺の役員会議の前にホースをふりまわして通路への盛大な水撒きと、涼しい仕事ばかり無意識に選んでいたのでした。

今日の役員会では、お盆参りを中心に、夏の行事の内容などが協議されました。予算の報告のところでは、秋のお寺コンサートや年末の忘年会、3月末の本山ツアーなど、もう少し先の話もされました。
住職に尿管結石のセンパイたちから激励と同情の声がかけられたのも、ありがたかったです。念仏の御同朋であり、尿管結石とたたかう同志とは、なんと濃い間柄でしょう(!)

冗談はさておき、いま私たちは気候危機の一端を体感しているんだろうと考えます。
人類だけでない、地球上の動物や植物、ウチの呑気な猫たちにも関わる問題ですから、大きな視野で考えて、地域規模で行動する、そんな姿勢で行きたいと思います。

住職のお腹の痛みも、なるべく小さくすみますように

別れあれば出会いあり

今日は午前に四十九日をご自宅でお勤めし、その後、納骨。午後はお寺で一周忌のお勤めがありました。

午前中の法事には住職の妹と中学時代に仲がよかったという方がおみえでした。連絡先をうかがって、妹に伝えたところ、懐かしがっていました。約30年ぶりに交友が再開するのかもしれません。

午後の法事には、数年前、箱根駅伝で山登りの区間を走ったという若者がお参りでした。亡きおばあさんは、その姿を絵手紙にしておられ、見せていただいたことがあります。髪の毛を風にたなびかせ疾走する姿をおばあさんは表現されていました。

故人さまとの別れを通じて、さまざまな出会いがあるものだなあと感じる1日でした。

岩井の夕焼け

墓じまいのお勤めに

ご心配をおかけしております。石の方は悪さをやめてくれたようで、ひとまず普通に過ごしています。29日に破砕していただきますが、それまで何事もなければいいのですが、こればかりはわかりません。

今日は朝から過去帳を2冊記載し、いい出足でした。その後、網代で閉墓(へいぼ)のお勤めでした。蒸し暑く、しばらく外にいるだけで汗が噴き出します。土日も忙しいので、頑張らないとと思いつつ墓地を後にしました。

帰る途中に電話がありました。葬儀の依頼です。施主さんとお話しして思い出しました。2018年4月、一度ご自宅でお勤めしたことがあります。当時はブログを書いていませんでしたから、詳細は覚えていませんが、仏教・浄土真宗についてご質問いただきました。普段は他県に住んでおられ、この度、お母さんの葬儀のため数日間帰って来られるとのことでした。

葬儀の日にできる限りのことを済ませる必要があります。来週早々も、少し慌ただしくなりそうですが、気持ちを込めてお勤めさせていただきます。

おみまい(たぁちゃの日記)

たぁちゃです。


おいたんと、ナモねえたんが、きのうからぽんぽんをいたくしています。
おいたんは、ばんにぼくがあしょんでいるとき、おいすにつかまって、おちりをつきだして、うんうんうなっていました。
おばたんが、おいしゃのおともだちにモシモシして、「いたいのをとめるおくしゅいを、つかってええやろか?」と、そうだんしていました。

きょうは、
おばたんがおそうしきのおちゅとめのおいたんのブッブをうんてんしたり、おかゆさんをつくったり、ナモねえちゃんをだっこしたり、いそがしいので、ぼくがにっきをかきました。

おいたんは、おてらのかねがなったころに、しろいきもので「はー!」と、いいながらかえってきました。おばたんが、れいぼうをつけたおへやに、おふとんをひいてあげたので、
ぼくは、おいたんがしゃわーをしてるあいだに、さきにおふとんにねておいてあげました。うれしがるかとおもったら、おいたんは「ター坊、ねるばしょがないじゃないか」と、なさけないこえをだしました。

なもねえちゃんは、おなかの毛がなくなって、ぼくがあしょぼよ!とさそうと、めっちゃくそにおこります。こわいので、ねえちゃんが、よそみしているあいだに、せなかをそおっとなめてあげました。

みんなげんきになってね

受難のふたり

坊守です。
きょうは午前中からそわそわしていました。猫のナモの手術の予定だったからです。何も分からない本人には昨夜から「ポンポンきるの、がんばろな」と声かけして(飼い主の緊張が無駄に高まっただけ)、昼前に住職に病院に連れて行ってもらい、夕方の迎えは私、と、仕事中もドキドキしながら過ごしていました。

そんな中、午後2時前に住職から不穏な連絡が入っていました。
腰に激痛が出て、病院に来ている、というのです。本人の経験から、尿管結石だろうとのこと。
痛みのひどさは、住職が東京で初めて発症した際に知っていましたので、早く処置してもらえたらいいなあ…と思いながら会議に出ました。1時間ほどで会議が終わり「痛みはとってもらえたかな?」とスマホをあけると、まだ診察にまわっていないではないですか((((;゚Д゚)))))))

大の男がのたうちまわる痛みでありながら、外来では緊急度低めの病気なので待たされるんじゃないかと心配した通りでした。
そして3時半。詰まっていた石のサイズと、鎮痛剤が入ったこと、月末に破砕術を受けると連絡。
小さなかわいいナモがお腹を痛めていることが気になり過ぎて、飼い主もお腹が痛くなったのかしら?と冗談めいたことも浮かびましたが、ナモと住職、仲良く受難の日だったのでした。
ナモは、お腹にハゲをつくり、麻酔の残った後ろ足がヨロヨロですが、好きに過ごさせてやったらいい、と先生のアドバイスなので、あちこちヨロヨロ歩いたうえで、縁側の畳にしゃがみこんでいます。
住職は、なんとか痛みをおさえて通夜のお勤めに。「ちょっと痛みがあったけど、勤めることができた」と帰ってきました。
こんやは患者さんたちの様子に気をつけながら過ごすとします。

草が一本もありません

網代道場の玄関先。草がきれいに抜かれていました。近くのご門徒さんが、「らっきょう切りがすんだらやっとくけえ、からんでもいいで」と話されていたのですが、その通りの状況です。

それにしても一本残らずというのは大変な根気です。私にはできそうもありません。お礼にうかがったらお留守でしたが、さくらんぼは近所の、これまたお世話になっているご門徒さんに託して帰りました。どうぞ食べてください。