「われら」について

お盆参りの段取りをつけるために、今日もパソコンの前で格闘しています。

その合間に、古い本ですが、本願寺が30年以上前に発行した『続ともにきく われらの法座』という本をめくっています。著者は藤田徹文さん。本願寺派の伝道院部長を勤められた方です。

「みんなが『われら』と連帯するところに浄土真宗がある」

「『われら』は、親鸞聖人の教えの中心的課題」

「浄土真宗のお寺があるということは、そこに御同朋という暖かい社会が築かれていくことでなければ」

「あの人ら、他人、敵というようなことがなくなる社会が開かれていかなければ」

「そういう役割をどこかで失ってきた私たちの教団がもう一度、本来の御同朋・御同行というところへ帰っていきましょう」

藤田さんの指摘に、ガツンときました。あなたは何のために僧侶になったんですか?と問われる思い。

親鸞聖人は、「いし、かわら、つぶて」のような「われら」であるとし、社会の底辺の人たちに暖かい眼差しを向け、自らもその立ち位置で生きられました。そんな底辺で生きることを強いられた人々が、阿弥陀仏から賜った信心の中に生きることで、「こがね」となると説かれています。

そこには身分、貴賎など人間が作り出した区分けを超えた人間の尊厳や平等を見つめる視点があります。実は、浄土真宗を私自身が見直したのは、この「われら」意識にありました。2年前、中央仏教学院で先生から教えられ、鎌倉時代にこんなことを考えていた人がいたのかと唸らされたのです。

お勤めを実務的にしてはならないなあと反省。

お盆参りは年中行事ですが、暖かい関係づくりの機会でもあると意義を捉え直して勤めないと!

布袋葵が咲きました

暑い、ダルい…

眉間に皺を寄せて玄関を出ると、目の端に爽やかなブルーが飛び込んできました。ホテイアオイが咲いたのです。

今までもなんどか栽培していましたが、だいたい水面で消滅してお別れ。開花は生涯2度目です。この「不意打ち」に、気分良く仕事に出ることができました。

われわれには耐え難い、厳しい太陽光も、彼らにはご馳走です。

また、野生にあっては、彼らが水辺の草食動物たちのご馳走。

繁殖力が強すぎて「青い悪魔」などという怖い別名ももらっているそうですが、我が家の玄関口の古いこね鉢に収まっている限りは、かわいいグリーンです。水面を覆い尽くして水流を止めたり、船の行き来を邪魔することはいたしません。

人が罪人になるかどうかは、置かれた環境に左右されるもんだ、といわれることを、この小さな水草に重ねるのでした。

ホテイアオイが、世界の侵略的外来種だなんて(ちなみに、ワカメもそうなんですって)、へんな感じです。

坊守

お盆参りの準備中

お盆参りの季節が近づいてきました。西法寺では8/11から15日がその期間です。暑い時期で、毎年数キロ痩せます!(すぐに戻るのですが)

岩美町内が主ですが、鳥取市内も50軒近くあります。

きょうは鳥取市の地図を眺めつつ時間の目安をだし、訪問時間の目安を定めました。はがきに記入して明日投函です。次は岩美町内の地図とにらめっこすることになりそう。

2年前、鳥取市内のあるお宅をまわったところ、小学生のお孫さんがたのしみにまっていてくれました。いっしょに合掌・礼拝してお経も本を開いて読んでくれ、びっくりしたことがあります。

自分本位になりがちの私たちですが、仏壇の前に座ると、仏さんに見られている、照らされている私を感じることがあります。だからなのか、ご家族が仏壇の前で手を合わせる生活を送っているご家庭の小さいお子さんや若い方たちは、どこか落ち着いた雰囲気があります。これ、気のせいじゃないと思います。

押し付けてはいけませんが、仏さんとともに歩む生活っていいんじゃないの? という機運を盆参りで少しでもつくれたらなぁという目標をもって、今年は勤めてみます!

納骨堂前法要を勤めます

8月16日午後1時よりお盆の法要をお勤めします。そのあと午後4時から納骨堂前での法要をお勤めすることになりました。

納骨堂は、墓じまいをされたご門徒の方から、納骨堂を作ってほしいという声をいただいてつくったものです。

納骨される際に法要を勤めてきましたが、今後お盆(8月)、報恩講(11月)、春の彼岸(3月)の年3回、法要を勤めることにしました。

今後、納骨の希望が増えていくと考えられます。お寺が管理のみならず法要を節々で行うことは最低限の責任を果たすことであり、ご遺族の皆さんにも安心していただけるのではないでしょうか。

納骨のご希望、相談、問い合わせ、随時受け付けていますので、お気軽にどうぞ。

境内を大掃除

きょうは午後、14人でお寺の掃除をしました。この頃の雨模様で境内は草に覆われていましたが見違えるようにキレイになりました。

昨日のように暑かったらどうしようと心配でしたが、いくぶん風も吹いて、気分の悪くなる方もです、ホッとしました。

来てくださったみなさんに感謝。

そうそう。小学校時代に少年野球の同じチームだった先輩と約40年ぶりに再会しました。

お母さんから代わりに参加してと頼まれやってきた先輩、田舎に帰って僧侶をしている私。

その2人が寺を縁にして再会を果たすというのも、なんとも不思議なものです。

これからもよろしくお願いします。

夏らしい仏華になりました

坊守です。

梅雨明けして、ほんとうに暑くなりました。

寒さより暑さが苦手です。皆さんはお身体いかがだろう、と考えていた本人がお腹をこわしました。アイスコーヒーに冷たい麦茶、冷たい烏龍茶、またアイスコーヒーと因果でございます(笑)。暑い時こそあたたかいものをとりましょう。

バテるのは人間だけでなく、本堂のお花もヨレヨレです。週末は法事もあるので、お花を新しくしました。

ちょっと変わったものをあしらうと、バランスがうまくありません。真ん中にススキを入れてみるも内陣に運びこむと、どうにも貧相。思考がフリーズしそうでしたが、畑で咲いているヒマワリを取ってきて、中心に据えたら、陽気な感じになりました。

地域を歩いてみると

午前中、短時間でしたが網代のご門徒さんと寺子屋の案内チラシをもって小学生のいるお宅を歩いて回りました。

夏休み、しかも午前中からの暑さもあってか、家にいた子どもたちも多く、10人ほどに手渡すことができました。来てくれるといいのですが。

50年以上、地域で生活されているご門徒さんは、地域のことを本当によく知っておられてすごいなぁと感心するばかり。

都会ではマンション暮らしで、お互いにお互いのことを知らないで生活するのが当たり前でした。

Uターンして、都会では当たり前だと思っていたことが、実はそうではなかったと思うことがありますが、きょうもそうでした。

もちろん田舎でも人々の感覚としては都市化がすすんでいるように思います。ただ孤独や貧困が都市部よりは見えやすいのかもしれません。

お寺は、これまで地域を支えてきたベテランの方たちが大切にしてきたことを引き継いでいく必要があるのではと思います。お寺に参ってこられる人だけを待っているようなあり方を少しずつ変えていけば、何が求められているのか見えてくるようになるのかもしれません。

これも縁

蒸し暑い一日でした。

本堂の裏の草刈り、寺子屋の準備、郵送作業、振込、印刷、盆参りの段取りなどしていたらあっという間に夕方に。

それなりにあわただしく1日がすぎたわけですが、心を和ませてくれることも。

草刈りの最中にふと池の方を見ると、ハチが懸命に蜜集め中でした。

ハスの花でもハチが蜜集め。しかしシャッターチャンスを逃してしまいました。

花があってハチの命がつながれる。

こういうのも縁だよなぁ〜と自然の不思議にしばらく見入ってしまいました。

アメリカの最賃の話

吉本興業の幹部の記者会見は大々的に報じられていますが、私は別の話に注目しています。

アメリカの話ですが、2025年から最低賃金を15ドルとする法案が先週、米下院を通過しました。日本円で1600円になります。

アメリカの最賃は現在7.25ドルですから2倍に引き上げるということです。もっとも上院とトランプ大統領が控えていますから審議されるかどうかは不透明。いずれにしても次の大統領選挙の争点になりそうです。

数年前からファーストフード店で働く人たちが声をあげてきたこと、昨年の中間選挙で民主党が下院で過半数をこえたことが追い風になったようです。

日本ではどうでしょうか。

鳥取の最賃は762円で全国最低レベル。全国平均は874円。東京が985円で最高です。

これでは若者は地元に残れないでしょう。

経済の論でトリクルダウンといって、上が潤えば下にしたたり落ちるという考え方があります。

しかし、現実はそうなっていません。お釈迦様はとっくの昔にお見通しです。「愚かな人びとは分かち合うことをたたえない」とのことばどおりの現実です。

若い人たちのためにも、日本の最賃を大胆にひきあげる、それによって地域に若者の定住をはかる。地方再生の切り札だと思うのですが。