網代から出港です

夜の網代港からから底曳船団が一隻ずつ出港していきます。

漁師さんたちが家に帰って寝ることができるのは1週間に1日ほど。このスケジュールが来年5月末まで続きます。

子どもらがお父さんに「ばいばい」と手を振っています。ご主人を見送る女性は、「この生活にはなかなか慣れません」と。

漁師さんのご苦労があって、支えるご家族のご苦労があって私たちの食卓は守られているのです。

どうか安全に!

月末は慌ただしい

午前中は役員会中止の案内をつくり、お盆法要に懇志を寄せていただいたご門徒さんに受領書を届けてまわり、田後のご門徒さんにお願い事でうかがい、午後はお寺の会計作業、鳥取市内のご門徒さん宛の郵便物づくり。地元信用金庫の方に預金を預け、郵便局に支払いに行き…。道の駅に食材を買いに行って夕食づくり。

あしたは、この間依頼を受けた過去帳への記入を3軒分。9月の「お寺の掲示板」も考えないと。

月末は慌ただしく過ぎていきます。

そして、明日は大事な行事があります。


網代港から底曳船団が出港する日なのです。6月から3カ月は漁がなく、9月から解禁です。


田後港からの出港はなく、県西部の境港から直接、漁場に向かうそうです。


9月1日を期して底曳漁は解禁です。そして秋も深まる11月からカニ漁がはじまります。

あしたは午後7時前後に網代港からでるということです。昨年、出港に間に合わなかったので、今年は少し早めに坊守とともにでかけてきます。

タリ坊のお家探検

坊守です。
きょうはお休みをもらい、たいした労働はせず、のらりくらりしていました。
自由〜!最高!!

同時に、子猫のタリ坊は、保護者の監視のもと、家の中の行動範囲を少しひろげました。
檻のある縁側の続きのふた部屋は、慣れたものですが、襖が開いた時だけ行けるリビングの上に、お2階があることを発見しました。
ナモ姉ちゃんについて階段をとんとこ駆け上がり、知らないお部屋を点検。
猫トイレも発見し、さっそく使ってみました。
ナモちゃんが柱を抱っこして梁まで駆け上がったのにはついていけず、下から見ているだけ。上がれても降りられないことはナモにもあったので、ホッ。


階段も降りられへんだろうとアシストのタイミングをはかりながら階段付近に待機していたら、怖がることなく上手にアタマから降りました。
さあ、もっと身体が大きくなって、ジャンプもできるようになったら、2匹で梁の上をおいかけっこ…は、やめてほしい。


どなたか、元気いっぱいの黒猫を飼いたいお家があれば、託した方がいいのだろうか?と、悩ましいところもあります。

秋の彼岸法要について

9月16日午前9時半より秋の彼岸法要をお勤めする予定です。
新型コロナ感染拡大防止の観点から予定よりも時間を短縮し、約1時間のお勤めとしたいと思います。玄関で検温にご協力ください。マスク着用にてお参りください。

11月には親鸞聖人のご命日を縁としてのお勤め・報恩講(ほうおんこう)を予定しています。一昨年は、初日本堂(午前のお勤め、お斎、午後のお勤め)、2日目午前網代道場、午後田後薬師堂をお借りしてのお勤めと2日にわたって行いました。

緊急事態宣言が発令されたままの状況であれば、網代や田後でのお勤めは難しくなるかもしれません。

そうした場合に備えて、インターネットでの配信がしっかりとできるよう(現在もできる状況にはあります)、9月は予行演習のようなこともやってみたいと考えているところです。

お寺の本堂は、開け放てば風もとおります。本堂の外陣(げじん。座るスペース)は36畳と、20人ほどの集まりであれば密になるということはありません。エアコン、扇風機数台をまわし、扉を一部開けるなどして換気しています。本堂の収容は、20人を上限の目安として、今後もお勤めや諸行事にのぞんでいきたいと考えているところです。

ワクチン抽選に若者を並ばすとは

きょうは四十九日のお勤めがありました。20代の方がお2人お参りでしたので、「ワクチン接種されたんですか?」と聞いてみたところ、「2回目終わりましたよ」とのこと。小さい自治体の強みなのでしょうか。岩美町はやいです。

それにしてもです。

東京渋谷の若者向けワクチン接種会場で抽選券の配布を求めて1キロの列。渋谷から原宿駅付近まで列ができるなんて。私も以前、東京にいたので土地勘はありますが、ちょっとありえないことです。

昨日は想定を超える若者が押し寄せて大混乱。きょうから抽選方式に。抽選ですから、並んでもみんなが摂取できる保証はありません。結局、2226人中300人がワクチン接種を受けられるそうです。

高齢者には不慣れなネットでの予約をすすめ、若者には暑いなか、並ばせるってどういうことなのでしょう。

陽性となり発症しても入院できず自宅待機を余儀なくされる可能性が高いですから、若い人たちの間にも危機感が広がるのは当然です。自治体からの連絡を待っていられない、すぐにでも打ちたいという若者たちが都の想定をこえてたくさんいるということなのでしょう。若者があまりに気の毒です。並ばなくてもいいような改善をぜひ図っていただきたいものです。

webざんまい?

坊守です。
少し涼しくなった頃に出るのが「夏バテ」です。みなさまおすこやかにお過ごしでしょうか?

7月末のブログに「鼻血が出そうなほど忙しい月でした」と書いた記憶がありますが、それからひと月後の8月末の今は「もう鼻血も出ません」と敗北宣言したくなっています。
どはは。
気づけば来月が誕生日!「寄る年波」というものでしょうか。


きょうは、先ほどまで厚生労働省のレクチャーをインターネット経由で受けていました。
私たちの生活を応援してくれる制度は色々ありますが、その運用にかかわる連絡文書も必要に応じて、自治体に発出されています。
しかし、解釈をめぐっては、なかなかデコボコがあり、制度を利用する末端(我々)に届くころには、住んでいる町が違うとサービスも別物になっていることもあります。今回は、とある制度でそういう問題がドーンと出てしまったので「トップに聞いちゃえ」ということにしました。だいたい、主旨はつかんだので、ここから修正してもらうために、もうひと踏ん張りすることになります。

それにしても、千代田線に乗って霞ヶ関まで行っていた頃が懐かしいですが、いまはパソコンをつなげば移動時間ゼロで話ができるのですから、わたしの母ではないですが「どこでもドアやな」と、感嘆したくなるのでした。


明日はWEB経由の研究会、明後日もWEB配信のセミナーに出る予定です。インターネットの会合は開く方にも慣れてきましたので、そういうものを使ってみたいという方は、お気軽にご相談下さい。簡単なことならお手伝いしますね。

コメ農家さんとお会いする

地元のスーパーで買い物をしていると、コメをつくっているご門徒さんの姿を発見。「あと1ヶ月ほどで稲刈りです。できたらお寺に届けますから、待っていてください」とのこと。表情は誇らしげでした。

自然を相手にする仕事はいいなぁと思います。消費するばかりで生産していない私から見れば神、いや、仏さまといったところです。

冗談はさておき、

昨日、カロリーベースでの食料自給率が37%と過去最低になったと農水省が発表しました。長期的なコメの消費減が影響しているそうです。

輸入が少なかった頃は食料自給率も高かったわけですが、食生活は多様化し、輸入の割合がどんどん高くなるというのが先進国の傾向のようです。そこから巻き返した国もありますが、日本は下がる一方です。

農業をしたいという潜在的な欲求は小さくないと思うのですが、食べていけないという現実問題があります。この前、農協の方が、「夢を持って農家になる人もいるけど、なかなか続かんですが」と話していました。

これも先日のことですが、町内会の作業中にSDGs(持続可能な開発計画)という単語が出てきて、この言葉がずいぶん身近になってきたんだなぁと感じました。いまのままだと田舎は持続不可能という危機感もあります。

たとえば農業について考えてみると、安全・安心の確保、地域の環境保全をはじめ大きな価値があると思います。この地域から仮に田んぼがなくなってしまったら風景は一変することでしょう。

みのりの秋はもうすぐです。いましか考えないのではなく、みのりをより豊かにしていくような方向に進まないとなぁと思うのでした。

惣ということ

本願寺の宗学院から本が届きました。宗学院というのは、浄土真宗の教えを学ぶ場です。

論文集ですから読み通すには、かなりの気合と時間が必要です。

その中に、一般にも開かれた講座を起こした講演録がありました。それなら読めるかなと、午後、目を通しました。

今日のブログは長いですし、明るい話ではないことをお断りしておきます。

宗学院の講師をつとめる浅田恵真さんが、「現代若者の宗教心」について講演したものです。浅田さんが大学のゼミ生と、「どうして人を殺してはならないか」というテーマで討論したことがが語られています。そして、浅田さんは仏教の視点から学生に問題提起をされています。

その学びの最中に、一人のゼミ生が自死するという痛ましい出来事に直面するのです。浅田さんとゼミ生は葬式に参列します。そこで、息子さんの頬をずっと撫でているお母さんの姿がゼミ生たちの胸を打ち、命について真剣に向き合うことになるのです。

その後、亡きゼミ生を偲んで追悼集がつくられました。そこにつづられた学生の手記が胸を打ちます。

友との悲しい別れを通して、学生のみなさんは与えられた命の尊さに気付かされたのです。

この浅田さんのお話は、『生かされて生きる〜どうして人を殺してはいけないのですか〜』という本に書かれているそうです。

この本を読まれた京都拘置所の教育官の方から「殺人を犯した受刑者に、この本の内容を講義して欲しい」との依頼があり、浅田さんは意を決して3人の若い殺人犯に講義することになります。

浅田さんは受刑者に問いかけます。「人を殺すという何がダメなんですか?」。

実際に殺すことがダメですか?(身業しんごう)口に出すことがダメですか?(口業くごう)心の中で殺したいと思うことがダメですか?(意業いごう)

3人ともに「実際に人を殺すこと」と答えます。

浅田さんは、「私がここにきたのはあなた方が自らの罪に対して心の底から改心するように自覚を促すことが目的です。心の中では人を殺しても良い、それは自由だと思っておれば到底改心しているとは思えません。口に出すこともダメ、心の中で考えることもダメなんです。これを身業・口業・意業とも言いますが、業とは『おこない』とか『行為』という意味です。口で言うことも『口業』と呼んで行為と見るのです。心で考えることも行為なのです。これが『意業』です。仏教は特に『意業』を重要視します。身業も口業も意業からの働きかけなのです」と話します。

受刑者の一人は、「感情の高ぶりで行動に移してしまう私には、この仏教の考えは、自分を変える現時点で大切な視点になるのではないかと思います」と感想文に記しています。

「心は目に見えないから度外視しても良いと考えていた受刑者たちが心の大切さを認識してくれたのです」(浅田さん)。

最後に浅田さんは受刑者にたいへん味わい深い話、激励をされています。

惣という漢字について取り上げた浅田さんは、この漢字が、物と心のから出来ていること、この惣は当用漢字にはなく、総があてられることを説明します。そして、「物と心で総てなのです。物だけが総てだと判断しないでほしい、その基本には心があるのです。これからも決して心を亡くさず、落ち着いて行動してください」

そして、少しでも仏教に触れて欲しいという思いから、話の最後にこう伝えられたそうです。

「この獄中で君たちに考えてもらいたいことがある。人間に生まれてきた真の目的は何か。これを考えてほしい。人を殺すために人に生まれてきたわけじゃないだろう。だから、人間に生まれてきた本当の目的をしっかり考えて出所してください」

胸が熱くなる浅田さんのお話でした。

バッタくんの大移動?

今日も雨降りです。火葬場でのお勤めが終わり、お寺まで車を走らせていたら、車の雨よけカバーにバッタが一匹ついています。

お釈迦様の時代、僧侶たちは雨季になると洞窟などにこもって修行したそうです。雨季は新たな生命が誕生する時期です。足で踏みつけないようにという配慮もあったといいます。

落ちて踏んでしまったら可哀想だなあと、いささか心配でしたが、じっと動かず無事でした。

数十キロの移動終了です。新たなすみかを探してくれるといいのですが。

そうそう、野良のシマちゃんは、室外機の上をすみかとしてくれたようです。

昭和30年代の子どもたち

今日明日はお通夜・葬儀です。

施主さんは私とちょうど一回り年齢が違います。

「昭和30年代は貧乏でしたよ。私なんかおやつを親からもらったことがなかった。近所の柿やグミを食べたりして。オリンピックがあって昭和40年代からかわりましたね」。

そんな昔話を聞きました。私は昭和44年生まれです。近所や道端の野苺やグミ、柿なんかをたしかに食べたことはありますが、おやつがなかったということはありませんでした。前のオリンピックは日本が経済的に発展し、暮らしが大きく変わる転換点だったのでしょう。

今回のオリンピック。どのように語られるのでしょうか。

貧しかった時代から懸命に働いて、ご往生された故人を偲びつつ、儀式をつとめさせていただきます。