5月も終わりです

ゴールデンウィークからあっという間に5月も終わりです。今日は法事のお礼の葉書作り、町内会の仕事、たまっていた会計作業、経産省のアンケート(経済センサス活動調査)への回答、さらには坊守からのお願いで梅(我が家に梅がなりました)をつけるための容器を買いに行ったりと、月末らしい?時間を過ごしておりました。
買い物先では今年97歳を迎えるご門徒さんのご家族とばったり。部屋からそらんじたお経を読む声が聞こえるそうです。お元気でお過ごしのようすで何よりです。

さて、鳥取県東部には17日に新型コロナ警戒事態宣言が発令され、6月20日まで延長となりました。先週、平井知事は、病床の使用率が10.0%と全国で最も低くいものの、近県では50%を超える状況となっていて、警戒を高める必要があるからと延長の理由を説明されていました。町の防災無線では、連日のように公民館の各種行事を警戒事態宣言が発令されている限り中止するという案内が流れます。網代公民館での習字もこの分では中止でしょう。

一方で、道の駅に行けば県外ナンバーの車がたくさん。私も東京に暮らしていたので気持ちがよく分かります。都会は便利で、楽しいことも多いのですが、狭い空間に人が密集していると疲れるのです。家だってそんなに広くもない。鳥取のように空気もいい、緑もある、しかも、感染のリスクが都会に比べて高くないと思われるとなれば、、、。ある意味、当たり前のことだと思います。

昨日、お寺の責任役員会では、この状況が夏まで続く場合に、お盆の宅参りをどうするのか議論しました。2年続けて中止ということは避けたいのですが、警戒事態宣言が発令されたままであれば宅参りを中止せざるを得ないのではないかという方向に。

事態の好転のためには、私たち個人の努力ももちろん必要ですが、感染の広がりが見られる地域での対策強化が欠かせないと思います。自宅待機のまま医療機関にかかれないで亡くなってしまう、病院ではいのちの選別が実際に行われているなど、痛ましい状況があります。

影響は多方面に広がっています。県内の学生さんを対象に、無料の食糧支援を行っている人たちによると、支援を受けたある学生さんは「月6000円の食費でしのいでいる」と話していたそうです。今日のニュースでは、大学生の間でメンタル不調を訴える人が増えていると報じていました。

見えない出口の中で、私たちにの側には緩みが、そして不安や生活苦が広がっています。検査を拡大して、広がりを把握し、抑え込むこと、ワクチン接種を急ぐこと、生活や営業を支える抜本的な補償を行い、感染を抑止することなど、いのちと暮らしを守る明確なメッセージを発してほしいところです。

6月はどんな月になるのでしょうか。

お寺の勉強会

今日はご門徒さん11人を前に、お寺の勉強会(念仏者のつどい)でお話しする機会がありました。

テーマは、浄土真宗では繰り返し読む『正信念仏偈」です。今日お話ししたのは、前半部分です。私たちが普段読むのは漢文の詩です。書き下し文と現代語訳を読み上げる形でお話ししました。

「わかりやすくてよかった」「むずかしい!!」

さまざま感想を寄せてただきました。

「この時間、自分が素直になれていると感じ、気持ちのよい時間を過ごすことができています」と感想を書いてくださった方もありました。

みなさんには、私の勉強につきあっていただいている面が大きいです。「むずかしい」話をよく耐えて聞いてくださいました。住職を育てているのだという気持ちで、ぜひ次回もご参加ください。

次回は7月25日(日)午後2時から4時までです。

「西法寺のホームページを毎日見ています。心が安らぎます」と感想を寄せてくださった方も。ありがとうございます。それを励みに、毎日更新を続けていきます。

カエルの大合唱

蓮の鉢に

最近、カエルをよく見ます。

お寺の前にて

ケケケとアマガエルが鳴きはじめるのは夕方。そして夜中には大合唱です。

東京で、隣家の池のカエルの鳴き声がうるさいと住民がカエルの駆除を求めて裁判に訴え、「カエルの鳴き声は自然音で騒音には当たらない」として退ける判決が下されたそうです。

最近は鹿も夜中によく鳴いています。カエルの次はセミ、さらに鈴虫やコオロギが鳴くのでしょう。みんな懸命に生きているのです。

さまざまなつながりを感じる

きょうは通院日で市内の病院へ。担当の先生は岩美町が実家です。夏の間は実家に帰って農作業もされているそうです。診察中に地域のことが話題となり、うちのお寺の檀家の方とご親戚であることを知りました。小さい頃はよく遊びに行かれたのだとか。

この病院には知り合いの方の息子さんが働いています。私を見つけて声をかけてくれました。

「あっ、Aさん。そういえば昨日、道の駅に買い物に行ったらお父さんがだしたそら豆ありましたよ」「売れても3千円くらいにしかならないようですが、それでも買ってもらえるのが嬉しいみたいです」

昨日は買いませんでしたが、冬に大根の漬物をよく出されていて、それは何度か買いました。安くておいしかったのです。この前、お父さんとお会いした際、「あれ、まただしてくれませんか?」「なにがぁ。大根の時期は終わっただで」と。たしかにそうでした。

これも知りあいのJAの方によると、「みんな安い値段つけすぎですが」とのこと。道の駅の野菜は100円ショップか!と思うほど安いのです。買い物していても観光客の方が、「安いわー」とびっくりされている姿をみることがあります。

私も、安すぎるのではと心配になることもありますが、「喜んでくれるのが嬉しい」というのは生きるはりあいになりますよね。はたらくとは本来そういうことじゃないでしょうか。

そういえば道の駅に新しく郵便ポストが設置されました。先日、岩井の郵便局の局長さんから、「山名さん、新しいポストが設置されたので、ぜひ見てください。ちょっと変わった形をしてますから」と案内があったのです。岩美だからカニかイカか、それともカレイかと想像をめぐらせたのですが、違ってました。

これ、何に見えますか???

僧侶の意見交換会

市内の興禅寺さんを会場に僧侶の意見交換会がありました。鳥取池田藩の菩提寺です。見事な中庭があり、池に水蓮が咲いていました。

住職さんが境内を案内され、無縁となったお墓を集めた供養塔、そして樹木墓苑を見学しました。

無縁墓を集めたお墓
僧侶20人が集まりました。

興禅寺さんは黄檗宗のお寺です。たくさんの仏様が手をあわす人たちに寄り添ってくださっているような感じがしますね。

本堂内

尾崎放哉の菩提寺でもあり、歌碑があります。

はるの山のうしろからけむりが出だした 放哉

意見交換会では、コロナ禍のなかでの葬儀の様変わり(ほぼ全て家族葬に)檀家さんに寄り添った関係づくり、法要のライブ配信の方法、僧侶の姿勢・あり方などなど活発な交流の場となりました。他宗の僧侶の方とお会いすることはほとんどありませんので、参加者にとって有意義な時間になっているのではないでしょうか。

季節外れのコスモス

今日は机に座って研修会の準備をしたり作業したり、合間にナモの様子を確認したりといった一日でした。

西法寺農園に目をやると、秋に咲く秋桜が咲こうとしています。アレっいつの間に? 今年植えたのではありません。去年の秋口に種を蒔いたコスモスが晩秋に咲きました。その種から芽が出て、まさに花を咲かせようとしています。季節は早いですが、キレイな花をつけてくれるかな。

集いに向けて

次の日曜はお寺の集いの2回目です。テーマは『正信念仏偈』。親鸞聖人が書かれたお聖教です。この2日ばかり本を読みあさり、お話しする内容を考えているのですが、なんだか解説チックな話になりそうで、いかんなぁと。

すると、蓮如さんの言葉がふと目に止まりました。

「まずお聖教を読め」「繰り返し読め」「何が書いてあるかという疑問がわいてきたら学習をはじめよ」

そこで、繰り返し、繰り返し、読んでみるのでした。

そうだ。親鸞聖人は解説のために書かれたのではないのです。教えに出会えた喜びを、その教えを、この私まで届けてくれた祖師方への深い感謝を、そして苦難の連続の人生であったとしても、生かされ、生きる喜びを記されたのでした。

帰命無量寿如来 南無不可思議光

仏の命に帰するとはお任せするということ。それは何もしないということではなく、教えに従って生きるということ。全てを救いとることをいちばんの願いとされる仏の願いを頭に入れて、どんなに不十分であっても、私も、その道を歩ませていただこう。南無阿弥陀仏と称えつつ。それが今現在の受け止めです。

ちょっと目が覚めてきました。私が解説するなど力不足でできません。繰り返し読んで、自分の心にも届いた親鸞聖人の生きる喜びと感動をみなさんと少しでも共有できれば。

田植えの風景

昨日、農家のYさんのところへ玄米を買いに行きました。いま田植えのシーズンです。Yさんはトラクターで田んぼをならしていました。2日ほどおいて田植えをするそうです。「なかなかえらい(疲れる)仕事ですで」とYさん。

トラクターがならしたあとには鷺の姿。カエルを捕まえるのでしょうか。畦を歩いていると青大将を2匹みました。田んぼはいのちをつなぐ場所なのでしょう。

真ん中に鷺の姿。わかりますか?

下の写真中央の山は二上山といいます。二上城というお城がありました。室町の世、因幡の国の守護が居住していました。その当時、周辺には千をこえる家があったそうです。因幡の中心は現在の鳥取市に移り、お城は廃城となりました。

Yさんによると、絹幕(きぬまき)という地名がのこっているそうです。二上城のお姫様が山から降りる際に絹の幕をはったという逸話からその名前でよばれるようになったとのこと。

山々の緑と青空、そして水を張った田んぼ。絵のような風景です。3年前、田んぼにコウノトリが飛来したとか。ことし降りたってくれないかなぁ。

アオアオ、アオーン!アワーオ!!

坊守です。
予定通りなら、いまごろ京都は右京区の角坊(すみのぼう)の辺で、スクーリング2日目を受けているところでした。
「こんな日程で、できないでしょう」という住職の観測どおり延期になり、不良学生にとっては思いがけず準備時間が増えました。

授業はインターネット動画なので、休日もパソコンに向かうことになります。疲れ目の中年には厳しいぞ。

というわけで、昼ご飯にお好み焼き(断然、大阪系)を食べた後は、正信念仏偈のCDを聴くことにしました。目を休めましょう。そういえば、耳は疲れませんよね、耳、凄い。

さてそれで、
きみょう、むりょう♪と、始まると、寝ていたはずのナモが走ってきました。


わたしの腕にからみついていたのですが、善導大師のくだりになると膝を降り、
「アオアオ、アオーン!アワーオ!!」と自己流に唱和しました。今朝、仏壇の前でお経をしている時も、そうなっていたので「吠えた方がいいのだろう」と、ネコなりに考えるのかもしれません。

LGBTについて本願寺の資料を学ぶ

昨日、自民党内の会合で、性的少数者(LGBT)の法案をめぐって、出席者から差別的な発言がなされたということが報じられています。当事者の苦しみや願いに鈍感といわれても仕方がないでしょう。

私自身も改めて学ばないとと思い、この間、参考にしてきた本願寺関係の資料を読み直しました。

性的少数者の「儀礼としての結婚式」に関して

この中で、本願寺総合研究所の丘山願海所長は、「わが宗門が、苦悩する人びと、少数者に寄り添うことを使命とするのであれば、『結婚』という法的な面で解決されていない現状であっても、例えば、先にみた渋谷区の『パートナーシップ証明書』などにも倣って、『パートナーシップ仏前結婚式』を執り行うことに、教理的には問題ないであろう」と記しています。

アメリカ浄土真宗に学ぶ 同性婚をめぐって

「言うまでもなく、第十八願に示されるように、阿弥陀さまのお救いは、『十方衆生』、すなわち人種や性別、国や地域を越えてすべての人びとに届けるものです。・・・だとすれば、当然、同性愛者の人たちもそこから排除されることはないのです」

「差別を受けてきている性的少数者の人たちを受け入れるべきだけれども、同時に、彼らに対して批判的な立場の人たちも、やはり受け入れるべきだ、という内容でした。つまり、立場を同じする相手とも、異にする相手とも、等しく共に歩んでいくということが、社会問題に関わる際の念仏者の姿勢として重要だということです」(いずれも本願寺派僧侶・宮地崇氏)

差別感情を振りまくことを放置することは許されないでしょう。しかし、この問題について事実を知らず、不安を感じている人たちを排除すると問題の解決につながりません。誰もが大切にされる社会に向けて、理解を深め、ともに力をあわせることが欠かせないと考えます。