昼間、若い方と少しの間、お話しする機会がありました。「週末はどこかに出かけるの?」と尋ねると、「占ってもらおうと思っているんです」とのこと。同世代の間では、占いは決して珍しくないそうです。
「何を占ってもらうの?」
「人間関係とか、将来のこととか」
明るく振る舞っていても、心には不安や、誰かに背中を押してほしい気持ちを抱えているのでしょう。
親鸞聖人は、次のような和讃を遺されています。
悲しきかなや道俗(どうぞく)の
良時(りょうじ)・吉日えらばしめ
天神(てんじん)・地祇(じぎ)をあがめつつ
卜占(ぼくせん)・祭祀(さいし)つとめとす
(なんと悲しいことであろうか。出家の人も在家の心ある人も、日の良し悪しを選び、天地の神々を崇めては、占いや祈祷を日々の拠り所にしている)
私自身、このお言葉には深く深く、「その通りだな」とうなずかされます。
しかし、迷いのなかにいる若い方に「占いなんて悲しいことだよ」と言っても、反発されるだけでしょう。
むしろ、目に見えない不安の中で彼らが懸命に生きている――その一端を、教えられた気がします。
「今度、結果を教えてくれない?」
「いいですよ。でも笑わないでください」
笑いませんとも。またお話を聞かせてください。