午後、お寺の役員会を開きました。
先月からお盆法要、納骨堂説明会、秋彼岸法要、グラウンドゴルフ大会、そして今日と役員のみなさんと顔をあわせる機会が多くありました。
この秋もなにかとお世話になることが多くありそうです。10月末の納骨堂の完成、そして11月末の報恩講がお寺としての次の大きな節目となります。そうこうしている間に年末になるのでしょうね。
会議後は有志による『歎異抄』輪読会です。本日が最終回。「後序」を読み、意見交流しました。
「源空(法然)が信心も、如来よりたまわりたる信心なり。善信房(親鸞)の信心も如来よりたまわらせたまいたる信心なり。されば、ただひとつなり」
「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」
「善悪のふたつ、総じてもって存知せざるなり」
「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします」
声に出すと、なかなかにしびれる言葉が次々に登場します。学習会などでふれられることの多い言葉ですが、原文のなかでその箇所に触れると、またちがった味わいがあるように思います。やはり原文に立ち返って読んでいかないといけません。
今回、声に出して読み通してみて、私たちが抱える課題にひきつけて考えることのできるテキストであると強く感じました。たとえば、良し悪しを自分の尺度で振り回す怖さ、不安のなかを生きる現代人にとって安らぎとはなにか、本当の自分の姿を深く見つめることの大切さ、など。
機会を見つけて、また『歎異抄』をどなたかと読んでみたいと思います。