亡き方から背中を押される

本日は葬儀がありました。

遺族のあいさつに、息子さんとともに高校3年生のお孫さんが立たれました。亡きおじいさんに釣りに連れていてもらったり、褒めてもらったりと楽しかった思い出を語るとともに、「まだまだおじいちゃんに甘えたかったけれど、僕は夢に向かって頑張るので見守って欲しい」と挨拶されました。

愛するものと離れること、愛別離苦は、私たちが体験する苦しみのなかでも格別だと思います。悲しい時は同じ悲しみを抱えているもの同士、ともに悲しみ、支え合う。それが悲しみと向き合う力になるのではないかと思います。

お釈迦さまに連れ添って25年間、説法のお供をつとめたアナン尊者にたいし、臨終がちかいことをさとったお釈迦さまは、「嘆くな、悲しむな。愛するものと離れなければならないと、私はいつもいってきたではないか」と諭されます。アナンはいよいよお釈迦さまが臨終され、悲しみに暮れていましたが、同じ修行仲間にも励まされ、お釈迦さまから聞いた教えを後世に伝える役割を果たされました。「如是我聞」とはじまるお経の「我」とはアナンのことです。

愛別離苦の悲しみは、それを契機にして、自らの生き方を考え、亡き人に恥ずかしくない道を進もうと背中を押すこともあると思います。

浄土真宗は還相(げんそう)といって、阿弥陀仏の救いによりお浄土に生まれたものが、現世を生きる私たちを励まし、導いてくださるという教えを大切にしています。

お孫さんが語られた淋しさとともに決意のあいさつに触れ、亡き方がこのようにお孫さんのところに還ってこられ、励まし、育ているのだなあとしみじみと感じるのでした。彼の背中を押したのは亡きおじいさんなのですから。

若い方から、そして、亡き方から大切なことを教えていただきました。

合掌

投稿者: 西法寺

西法寺のHPを管理している釈大朗です。よろしくお願いします。

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