西法寺の歴史を学び直す

朝、市内の葬儀会社さんが来られました。8/1に予定されている食料無料市にシャンプーや石けん、文房具、服、お皿など提供していただきました。いつも気にかけてくださり、ありがたいことです。昨日、和歌山に住む坊守の弟さんから届いたグリーンソフトを、「どーん」と差し上げました。西法寺通信ももってかえっていただいたところ、アイスのお礼とパズルの回答がファックスで届きました。はい、正解です。

午前中、ご門徒さんに来ていただいてレクチャーを受けました。西法寺の歴史について、20年ほど前に詳しく調べていただいた元お寺の役員さんです。

西法寺は1610年に山あいの集落・銀山で開基したと伝わります。因幡の国守護、布施城主山名豊数の子、山名小太郎が始祖。身内同士の勢力争いの末、母徳子は23歳で自害。小太郎はまだ幼子でした。徳子は、「争いのない僧侶の道を」と言い残したということです。16歳で元服した小太郎は武将になることを嫌い、髪を落として僧侶となりました。天台宗のお寺としてスタートし、浄土真宗に改宗して今さう。その後、銀山から岩井へとお寺を移し、今に至ります。

江戸時代中期には、「三業惑乱」という協議上の大論争が巻き起こり、全国に波及。西法寺の住職をつとめた澄流は、間違いと裁定された教えの側に立っていました。責任をとり、腹を切っています。辞世の言葉も今に伝わっています。

20日に、同じ因幡組内のお寺の仏教婦人会のみなさんが来寺する予定です。「お寺の歴史を」との要望をいただいているのです。みなさんに楽しく聞いていただけるようにつとめます。

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投稿者: 西法寺

西法寺のHPを管理している釈大朗です。よろしくお願いします。

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