「夏になったら暑うていけんのを草はよう知ってるでー。だからいま精だして伸びとるだが」
草刈り中のおじさんが、草の身になりつつ、草刈りをされています。
それを横目に、今日は読書。
先日、本願寺派の宗学院から本が届きました。2018年に龍谷大の大宮キャンパスで、週に一度、宗学院別科を受講しました。真宗のみ教えを学ぶ場です。その後、受講する機会がなく残念に思っていますが、こうした論集を時々、いただいています。

徳永一道さん(本願寺派勧学)の講演が掲載されていますが、金子みすゞさんの「土」という詩がその中で紹介されていました。私は初めて知る詩でした。
こっつん こっつん ぶたれる土は
よいはたけになってよい麦生むよ。
朝からばんまでふまれる土は
よいみちになって 車を通すよ
ぶたれぬ土は ふまれぬ土は
いらない土か
いえいえそれは 名のない草の
おやどをするのよ
すごいですね、この詩。
徳永さんは、みすゞさんの詩は仏教から出て来たものであり、「仏教の真髄を、優しく、しかも子どもの言葉で表現した人はいない」と述べています。
畑の雑草をみるにつけ、「せっかく土をたがやしたのに、これじゃあ何にもならないよ」と嘆いているような私です。
自分のはからい、都合ばかりから物事をみていては、本当のことなど分かりはしないということなのでしょう。