無縁。国語辞典を紐解くと、「縁者がいない」という意味とともに、「誰のためというような対象の区別がなく、すべて平等であるということ」という意味が記されています。仏教でいう「無縁」とは後者の意味となります。
無縁社会は現在の世相を表していると思います。これは前者の意味です。
昨日、ある方の納骨をしました。
身寄りに必ずしも恵まれなかったAさんがなくなり、そのご遺骨を親戚の方(Bさん)が引きとなれ、自分の家のお墓に納骨されたのです。Aさんは最晩年は施設に入られたそうです。Bさんは火葬し、遺骨を持ち帰られました。「家族に相談したところ、納骨することをみな賛成してくれました」
昨日、私が法名をつけ、仏壇の前でお勤めをし、Bさんと納骨しました。本当は家族をよんで納骨をと考えておられましたが、コロナウイルスの感染拡大が進むなか、私とBさんの二人での納骨でした。
「よかった。ほっとしました」とBさん。
「助け合い、支え合う関係が切れているというのならば、『無援社会』と言うべきではなかろうか」「関わりを断つのが『無縁』ではない。分け隔てなくつながっていく方向を示す言葉なのである」(一楽真『文藝春秋』2011年5月号)
私と縁のない人は、実はいないのだ。それを仏教では無縁というのだと、目の前で学んだ4月5日の出来事でした。