今日の朝も地面は雪に覆われていました。10センチ超は新たに積もったと思います。
雪かきをする前に、近所を少し歩いて、お寺を眺めました。こういうのを雪景というのでしょうね。見ている分にはキレイなものです。

小一時間ほど除雪機を動かし、お寺の駐車場と納骨堂に向かう境内の雪をかきました。境内の方は昨日かいていないので、30センチほど積もっていました。
昼間、気温は低いものの太陽も顔を出し、いくらか雪も溶けて水に変わっていきます。
「雪が溶けて川になって流れて行きます」という歌には、まだ早いですね。溶けた水はまた氷にかわるかもしれません。
親鸞聖人にもこんな詩(和讃)があります。
「罪障功徳の体となる こおりとみずのごとくにて
こおりおおきにみずおおし さわりおおきに徳おおし」
こおりがみずにかわっていくのは、0度より高い温度の空気や水にふれるからでしょう。
罪や障(さわり)といった私たちの煩悩が、徳に変わるというのは、自然にそうなるのではありません。仏さまの働きによって、煩悩が、そのままさとりに転じるということです。そのことを親鸞聖人はもったいなく思われたのでしょう。
そんなことを考えてみますと、「仏さまを泣かすようなことはすまい」という心のストッパーが働くのではないでしょうか。
以前にも書いたことがありますが、現代においては、人間の経済活動によって氷を溶かし、海面上昇を招いています。これでは、〝こおりおおきにみずおおし さわりおおきに罪おおし〟です。煩悩との付き合い方を変えないと、取り返しのない事態になりかねません。