坊守です。
やっと週末にたどり着きました。23日の祝日をはさんだせいで、小走りどころか猛ダッシュ(本人のイメージです)な1週間でした。
しかし、半ドンで終わり、午後イチに70分の講演を聴けたおかげで、「つかれたー!!」と、悲劇的な顔で居間にばったり倒れ伏すことなく、元気に帰ってきました。
講師は奥田知志さんという北九州市の牧師さんです。地元で野宿生活の方たちへの炊き出しからスタートし、生活再建の支援を30年以上続けておられる方です。
雇用形態の変化(すさまじい非正規化で「雇用崩壊」と表された時期がありました)や地域コミュニティの弱体化、家族が居ても支えられないなど、社会の構造の変化で「『助けてと言えない人』が増えてきた」ということを、発信もされてきました。
今日のお話は、困難を抱えた人を「伴走型」で支援しよう、とこれまで出会った人たちの話をひきながら、呼びかけるものでした。
ささやかな食料支援や相談活動を通じて、行政の支援制度や相談窓口に、もどかしさを感じていたところが、言葉になって整理されたなあ、とスッキリしました。
あわせて、誰かのために軽々と動ける背景には、奥田さんが宗教者であることも欠かせない要素だと感じました。
アフガンで井戸を掘っていた医師・故中村哲さんと重なるものがありました。
住職にそういうメールを送ったら、「お2人にはしっかりとした哲学があって、それが支えてるんでしょう。亡くなった瀬戸内寂聴さんが、「お子さんに『何のために生きるの?』と聞かれたら、『誰かを幸せにするために生きるのよ』と答えてあげてください』と言われてたけど、勉強は人の幸せのためにするもの」と、即答でした。
「かしこさは、人のためにつかうもの」。大学時代に、いろんな職業の人から話を聴く連続企画を仕掛けたことがあったのですが、感動的なお話をしてくださった保育士さんに「なぜ学ぶのか?」という質問がとんだ際、こんな回答が返ったことも思い出しました。
智慧と慈悲とはセットであります。
はい、長々と綴りましたが、わたしはなぜいまここに生きているのか、を忙しさですっ飛ばしかけていたところを、奥田牧師に戻していただいた、という報告でした。人のために学ぶ努力もしたいと思います。
生まれてきてよかったていう人は今の日本にどのくらいの人がいらっしゃるのでしょうか。
ふと考えさせられました。
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なこさん、そうですよね。つい、そう考えずにはおられませんし、それぞれが生きる物語を持っていてほしいと思います
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生きる物語ですか。そういう考え方もありますね、勉強になります😳
わたしの
かかえている課題も、後先振り返れば、物語となって、その物語が誰かを励ましたり出来ればいいなと思いました。
現在進行形の課題は疲れますけど(笑)
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