坊守です。
尿管の石の破砕術を受けた住職ですが、まだまだ痛むようなので、6月の締めくくりの日記もわたくしでお許しください。
「結石は、カラダの外に出るまでが結石です。気をつけなさい」と、遠足の時の学校の先生の説明のようなフレーズが浮かびますが、ほんとうに出てくれるまでが闘病です。1日くらい代わってやれたらいいのに(住職がんばれ)。
痛みといえばこのところ、涙をこぼす人に遭遇することが続いています。心が痛んでいるのです。
その瞬間、自信をもってかけるべき言葉が口から出ることもあれば、言葉もなく背中をさするしかできなかった人もいます。
年齢も性別も痛みの内容も違いますが、自分が肯定されないツラさが共通しているんだよな…と、思い返すのでした。
この世に誰ひとり要らん存在は無いと考える派ですが、第三者に向けられる肯定感を自分に向けるのは難しかったりして、ニンゲンって繊細だな、と苦笑い。
わたし自身は、家に帰って、ニャウ・ワウと、毎日騒がしくむかえてくれるシマ猫・黒猫になぐさめられてやっと、半径3メートル程度の人たちを気遣うことくらいしかできません。そんな小さな円でも、あちこちにあれば、いいのかな。
香箱座りでウトウト始めたナモに話しかけてもお返事はありません。


人にしてもらうのと、人にして上げるのと。
してあげる人は、相手に自身の心を分けてあげてる。力がいりますね。余裕がないとできないです。🌸
私は、人に教わることが楽しく。逆に教えることはたいへんだと思っていたけど
、それと同じことなんだ!
相手を思って話を聞き、慰めることは並大抵ではできないですね。
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