仏教は遺されたもののために

きょうは四十九日のお参りでした。

お参りの方からお勤め後に話しかけられまた。「私は他宗ですが、妻を7年前に亡くし、ことしは99まで生きた母の3回忌でした。妻が亡くなってから少し仏教にふれました。きょうのお話もそうでしたが、仏教というものは、亡くなった人のためでなく、遺されたもののためにあるんですなぁ」。

きびしい別れではあったけれども、それもご縁に仏教にふれられたのでしょう。

別の方からは、「しんらんさまの歌詞カード、いただいてもいいですか?」と。「どうぞ、どうぞ」と差し上げました。本堂の内陣が金色であることに驚いておられたので、その理由についても少しだけお話ししました。

あしたも四十九日のお勤めです。気持ちを込めてのぞみたいと思います。

投稿者: 西法寺

西法寺のHPを管理している釈大朗です。よろしくお願いします。

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