きょうは節分です。最近では恵方巻きを食べる日として認知されているようで、鬼の出番も減っているのかもしれません。かくいう私も、スーパーの恵方巻きコーナーで買ってしまいました。
ついでに最寄りの道の駅によったのですが、豆の売り場にドーンと鬼がいて、笑ってしまいました。

鬼は隠れていて普段は現れないので、もともとは隠(おん)といい、それから鬼になったそうです。
ツノを隠して生きているのはだれなのでしょうか?
貪(むさぼり)という煩悩に引きずられて、よろこびを失い、不足だけで生きている「いのち」を餓鬼といいます。
だとすれば、鬼は私であり、世界中にあふれているのではないでしょうか。
節分は、みんなが鬼であるという自覚を新たにして、みずからを見つめ直す日にするというのはどうでしょうか。
何かを極めた人のことを
「〇〇の鬼」と、呼ぶこともあったと思いますが、最近はあまりききませんね。
この前聴いたラジオで、豆まきの言い方をバージョンアップしよう、というお題に対してリスナーから「鬼はワタシの心の中!」とか、「鬼の多様性を認めよう」とかいう投稿がありました。鬼も悪い存在ではなくなってきたのか
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