過去帳を記入して思うこと

今日は雨降りです。屋根から落ちた雪は一時、1メートル半ほどありましたが、この雨で1/3ほど溶けてくれたようです。これで雪をかかなくてもよさそう。

午前中から2冊の過去帳にご法名やお名前など記入し、4時前に書き終えました。大袈裟かもしれませんが、肩の荷が降りるとはこのことです。

過去帳は、その家の過去の命を記録することを通じ、多くの命のおかげで今日ただいま私があるということを教えてもらうものであると思います。

1月にご往生された大正生まれの方のご法名、お名前もこの度記載しました。出身は町外ですが、戦後直後、町内の方とご縁があり、嫁いでこられました。ご家族にうかがったところこんな話を教えてくれました。

「母は父の名前は知っていたようですが、顔を見たことはなかったそうです。結婚することが決まり、初めて顔をあわせた時、弟さんも同席されていたそうです。母は、『私の夫になる人はどっちだろうかと思ったで』と話していました」

戦後直後というのは、そういう時代だったのでしょう。戦争で同世代の男性がたくさん戦死しました。あるご門徒さんのお宅で、戦地で亡くなった方のご命日を見て胸が締め付けられる思いをしたことがあります。そこには、「昭和二十年八月十二日」とありました。当時の日本男性の平均寿命は23.9歳です。それだけ男性が少なかったのですから、結婚したくてもできなかった女性がたくさんいらっしゃいました。

それから77年余り。

戦死者を記録しなければならない現実が起こっていることに憤りを感じます。

日本では、過去帳に一人の戦死者の名前も記載していません。
その重みをかみしめるのでした。

投稿者: 西法寺

西法寺のHPを管理している釈大朗です。よろしくお願いします。

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