今日は百箇日のお勤めがありました。百箇日は卒哭ともいいます。哭は、口が2つ横に並び、下に犬と書きます。泣くことを意味します。泣くことを終わりにしようという意味が卒哭にはあります。
こんなことをお話ししました。
昨年ご往生された方から以前うかがったことがあります。「夫の百箇日が済んだ頃から、悲しいという気持ちとともに、であえてよかったな、楽しいことも多かったなと思えるようになりました」
「あう」ということば、どんな漢字が思い浮かびますか。
会う 逢う 遭う そして遇う。
会うは、予定していたものが顔を合わせること。逢うは、親しい人に会うこと。遭うは、ひどい目にあうこと。遇うは、期せずして会うこと。
私は、この方が遇うという意味でおっしゃったのではないかと思っています。会うには別れがあります。しかし、遇うは別れではないのだなと教えられたのです。
今日は百箇日です。この世での出遇いに感謝するとともに、いまは阿弥陀さんとともにいらっしゃる亡き方との出遇いに感謝し、手を合わせるひとときとしましょう。