人として生まれることの不思議さ

きょうは四十九日の法要、そして納骨がありました。

人間として生まれたことは大変なことだなあと改めて思わされます。

お釈迦様はこのような例えを残されています。

一切れの板を大海に投げ入れよう。その板には1箇所孔があいている。大海には1匹の目の見えない亀がおり、百年に一度だけ海面に浮かび首を出す。この亀が海を漂う板切れの孔に首を出すことぐらい人に生まれることは難しい。

生まれ難い人に生まれ、生涯をまっとうされた方の納骨にあたり、人に生まれた不思議さを感じるのでした。

投稿者: 西法寺

西法寺のHPを管理している釈大朗です。よろしくお願いします。

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