今日は午前中、17回忌のお勤めがありました。昨年9月1日に解禁した底曳漁はこの5月末で終了です。お参りされた漁師さんにうかがうと、北海道の大ズワイガニの豊漁のあおりを受けて今シーズンのカニの価格は例年よりも安かったようです。
この間、お墓じまいの相談も受けていました。集落の墓地は高いところにあり、お母さんがお参りすることが難しくなっているそうです。平野部に7月に移すとのことで、来月の頭お墓じまい、そして新しいお墓の前で建碑(けんぴ)法要を勤めさせていただくことになりました。
法事が終わり、明日の役員会の準備と「歎異抄」の予習です。
「歎異抄」は輪読して質問・感想を出しあう形で進めています。第13条、第14条が明日の輪読の箇所になるでしょう。
特に第13条は後半のハイライトの部分といってよいでしょう。こういう下があるところです。
(現代語訳)「またあるとき親鸞聖人が、「唯円房はわたしのいうことを信じるか」と仰せになりました。そこで「はい、信じます」と申しあげると、「それでは、わたしがいうことに背かないか」と、重ねて仰せになったので、つつしんでお受けすることを申しあげました。すると聖人は、「まず人を千人殺してくれないか、そうすれば往生はたしかなものになるだろう」と仰せになったのです。
もちろん「できません」と唯円は返答します。
それに対する親鸞聖人の言葉は…。
原文と現代語訳、そして解説文に目を通しました。さて、どんな感想が出されるでしょうか。
どうでしょう、もし誰かに「橋から飛び降りろ」と言われても、その結果を恐れて飛び降りないと思います。 あなたの書いたことによると、千人を殺しても浄土に往生できないということですね。 🥺🥺🥺🥺🥺🥺
いいねいいね