朝はお寺で法事、それから市内でひらかれた医療生協のブロック別総代懇談会へ、午後は県中部の湯梨浜町のお寺さんで会合とあわただしい1日でした。
朝の法事はご門徒さんからの依頼です。懇意にしている方のご家族が亡くなられ、直葬をされたそうです。そのことを聞かれて、「お経をあげてもらえないだろうか」との相談が数日前にありました。そして今日、ご家族にお参りいただいたのです。30分ほどおつとめして少しお話しさせていただきました。
ご門徒さんのなかには、このような形で「慈悲の実践」をされている方があります。この言葉を私は、「つながりあって、喜びと悲しみをともにする」という意味で使っています。もちろん私たちにできることは限られたことです。ですが、それを分かった上で、つながり、協力しあえば結構なことができます。今日もそのことを感じました。ご門徒さんがつながっていたから、私とご遺族がつながりました。ご門徒さんの「慈悲の実践」のお手伝いをさせていただいたということです。
法要が終わり、医療生協の集まりへ遅れて参加です。報告者は坊守でした。同じテーブルの方が、「わかりやすい話をされるなあ」と関心されていましたよ。
私が注目したのはこの表です。

みなさん、病院というと、病気になっていくところと思われるでしょう。しかし、医療生協はひと味ちがいます。患者(組合員)同士が横につながり、班をつくって定期的に集まって茶話会をしたり、健康チェックをしたり、ときには社会や政治についても学び、できることを考えたり行動したりするのです。出資者でもありますから、医療生協の活動に参画することができるので、こうした懇談会も開かれるのでしょう。6月には懇談会を経て総会がもたれます。
高齢化とそれに伴う孤立・孤独がひろがるいま、医療生協が重視している「つながる」「集まる」ことの効果は絶大です。お寺でも医療生協の班会を月一回開いていますが、みなさん生き生きと参加されています。
このユニークな活動をPRすることに長けたら、医療生協はもっと地域に根をはることができると思います。
午後の会合では、年に数回しか顔を合わせる機会のない県中西部(伯耆組)のお寺さんと共同の研修などについて意見交換してきました。学ぶべき実践もあり、因幡組の活動にも生かしていきたいと思います。

なんでも自己責任や自己決定を強いる社会風潮が苦を拡大していると思います。つながり、集まり、生きていきましょう!
ご参加ありがとうございました。そう、シンプルなことですが、大事。報告は、初めての任務でしたので、緊張して、住職が来たのでさらに緊張しました。笑
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