法事の際に短い法話の時間があります。先日はお聖教にでてくる数の単位を少しばかり。
一、十、百、千、万、、、、、極、恒河沙、阿僧祇、那由多、不可思議、無量。これが一から数えて大きくなる単位です。
親鸞聖人の「正信念仏偈」は、帰命無量寿如来 南無不可思議光 とはじまります。
一方、小さくなっていく単位は、一、分、厘、毛、、、、虚空、清浄、阿頼耶、阿摩羅、涅槃寂静となります。
「正信偈」には、清浄、涅槃、寂静といった言葉をみることができます。
親鸞聖人が生きた鎌倉時代にはまだ数の単位として確立していませんが、おもしろいと思いませんか? 聖人の没後30年ほどののち、中国の元の時代・朱世傑が極(ごく)以上の単位を確立したそうです。大きな数は仏教用語からとられたのだとか。
ちなみに、私たちが苦しめられているコロナウイルスの大きさは、繊(せん)1000万分の1、沙(しゃ)1億分の1といった単位です。身長15キロメートルの巨人のあしもとにある直径1ミリのゴマ粒ほどと、あるホームページに説明がありました。
涅槃寂静とは、いっさいの煩悩からはなれた仏さまの世界のこと。そこから無量寿(慈悲)と不可思議光(智慧)で私たちを救いとっていこうと願われたのが阿弥陀さまです。私たちが生涯、煩悩から逃れられないとよくよく知っておられるので、私に向かって前屈みに立っておられますよ。
「私、大きな数の単位、初めて知りました」と興味をもたれたご門徒さんもいらっしゃいました。
興味をもっていただけるよう、これからも、さまざまな入り口から、お聖教の内容をお話ししたいと思います。そのためにも、「読書の秋・勉強の秋」ですね。
食欲の秋!
かと思いました
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