まつりのあと

坊守です。
まだまだ先だと思っていたお寺フェス&法要&帰敬式はあっという間に本番となり、その日が近づけば近づくほどジェットコースターに乗ったような加速を感じるのはなんでかな?とバタバタの傍らで素朴な疑問を持ちました。子どもの頃の時間がゆっくりに感じるのは、感動が多いからで、オトナは感動が少ないから時間の経つのが早いんだともききましたが、本当でしょうか? オトナだって心は動くと思いますけれど。

さて私の場合、最終版で「こわっ」と思うことが何度かありました。
法要前日、起き抜け台所に立っていると、何の前ぶれもなしにメガネが落ちました。なんで~?と言いながら拾ってみると、ネジが無くなったようでツルが外れていました。爪楊枝を差し込んで補修してみたところ、住職が顔を見て笑いました(失礼な)。「フェスやし、いっそ先に旗でもついた爪楊枝をつかったらイイかもしれん」という提案は、ぎろりとにらまれて果てました。修理に行く時間もなく、古いメガネをつけたのですが、それすらも1日で右側の鼻あてがぼろっと取れました。
別の意味の「こわっ」もありました。それは、寺の役員さんたちの底力。私と住職では考えもつかない鮮やかさで、本堂から山門にかける派手な幕がかかったと思うと、プロの落語家さんに満点をもらう高座が本堂に組みあがるのです。当日にぎわった人たちへの対応や、本山の方たちの送り迎えも、その場で判断しないといけないことが多かったですが、スマートに収めて下さいました。強い日差しの下での、交通整理にも、感謝しかありません。
ああすれば良かった、と思うことは整理して来年の第2回に活かせればいいなと思います(PDCAサイクル)。


そうだ、私も帰敬式に出させてもらいました。直前までモノを取りに走ったので、鼻息荒めでしたが、アタマのてっぺんを三度剃刀でなでられて、2つめの名前がついて、これまでの人生と今後の生き方を重ねながら、ジタバタやっていこうと思います。住職がつけてくれた名前のいわれも、ちょっとグッとくるいいものでした。

この先きっとつまづくことも、どうしようもなく辛いこともあるのでしょうが、そのつど帰敬文と法名を見直して、生き抜くのです。
隣の席のMさんもご自身の法名と住職からの命名の言葉に「涙が出る」と、おっしゃっていました。

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投稿者: 西法寺

西法寺のHPを管理している釈大朗です。よろしくお願いします。

“まつりのあと” への 3 件のフィードバック

    1. かぼかあさんとかぼとうさんからいただいた恩を返すことは到底できません。お二人から学んだことを誰かに伝えつつ生きていきたいと思っています。いつもありがとうございます。

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