人は次の日になると前日のことの7割は忘れている、という話をきいたことがあります。
しかし、昨日は確実に覚えているであろうことがありました。
本願寺が発行しているパンフレットを読んでいると数の単位がでていました。
一、十、百、千、万、億、兆、京と、ここまでは知っていました。普段の生活では万までしか実感はないし、使うことはありませんが。
その上は、垓がい、穣じょう、溝こう、澗かん、正せい、載さい、極ごく と続くのだそうです。ふうんと読み進め、頭には特に入ってきません。
そのさらに上の世界は、実はよく読むお経に登場するこどばだったのです。
恒河沙ごうがしゃ、阿僧祇あそうぎ、那由他なゆた、無量大数むりょうだいすう
すべてよく読む『阿弥陀経』にでてきます(お経では無量)
たくさんを表しているとは知っていましたが、数の単位であったとは。
阿弥陀=無量光ですから、まさに無限に届く光を放っている、ということになります。
なるほどそうだったのか、とびっくりしたので坊守に話すと、「知ってたよ」の返答が。
というわけで、恒河沙以上の単位と坊守の一言は、多分忘れないだろうと思います。
知ってました。フフフフ
いいねいいね
僕も知ってました。フフフ(笑)。
いいねいいね