親鸞聖人の和讃という詩は、鎌倉時代から遠くときを経た現代でも、心に響くものがあります。特に通夜・葬儀の際に拝読するいくつかの和讃は、読んでいても胸が詰まる時があったりします。何を拝読しているのかわからないと申し訳ないので、経本をお配りしています。ともに称える方はほとんどありません。けれども、葬儀の後の還骨法要の際には、声を出して和讃を読まれる方が少なくないのです。そういうとき、親鸞聖人が和語で詩を作ってくださったありがたさを感じるのです(読み方があまり難しくないという点もあるかと思います)。
何冊か解説書を手もとに持っているのですが、いちばん開く回数が多いのは、本願寺の前ご門主・大谷光真氏の『いまを生かされて』という本です。発行は2014年、「あとがき」の「仏教徒としての東日本大震災」「原子力発電に対する私の考え」も端的ではありますが、考えさせられる内容です。
親鸞聖人の和讃を、「苦悩する人々への、励まし」と大谷氏は記しています。だから、この悲しい時間をともに過ごしてくださった人たちが、一緒に口ずさんでくださるのだと思うのです。
朝からずっと、午後に予定されている入仏法要で何をお話しすればよいやらと考えつつ本をまためくっておりました。結果、「安楽浄土にいたるひと 五濁悪世にかへりては 釈迦牟尼仏のごとくにて 利益衆生はきはもなし」を拝読し、それをどのように味わっているのか、大谷氏の解説も交えつつ、お話しさせていただこうとの考えに至りました。
人生における大きな苦悩は、いつか死んでいかなければならないことであり、残された方にとっては、愛別離苦の苦しみを抱えつつ、いかに生きていくかということではないでしょうか。「苦悩する人々への、励まし」である親鸞聖人の和讃を自身がもっと読み込むこと、そして、みなさんにふれていただける機会を増やしていきたいなとの思いを新たにしています。