秋彼岸法要を終え、次は21日の法要が節目です。
9月は、町内にお住まいのご門徒さんにお寺の会費のお願いをする月でもあります。世話役さんを通じて納めていただいているのですが、今日はその段取りで、山あいから町中、そして港近くに住む世話役さんのところを回ってきました。農村は稲刈りのシーズン、漁村は底曳漁の真っ最中です。
西法寺は、もともと山あいの銀山集落にあったと伝えられます。豊臣秀吉が銀山開発を進め、最盛期には年間1300キロもの銀を産出したそうです。家屋が800軒、寺院が10もあり、そのうちの1つが西法寺でした。ある御門徒さんが以前、「創建当初の西法寺を、銀山の檀家が支えていたと、歴史好きだった父親から聞いたことがありますで」と教えていただいたことがあります。
海岸部の集落は、漁場を求めて定住するようになった数家族からはじまったというのが縁起のようです。もともと浄土真宗のご門徒さん方で、西法寺の檀家になられたのだとか。
戦乱の世が終わり、農漁業に従事できるようになり、17世紀に人口が急増し、家から亡くなられた方たちをご先祖として大切に敬いたいという気持ちが芽生え、江戸時代の初期にお寺は大きく数を増やしました。
お寺にはそれぞれの歴史があります。以前、戦国武将と同じ苗字をお持ちのご住職さんに、「もしかして関係が?」とうかがったことがあります。すると、その武将にお寺の境内を宿営地として提供したことから、同じ苗字を名乗ることを許されたのだとか。「へえー」という話です。住職さんというのは、話好きなので、歴史秘話が聞けるかもしれませんよ。多少の長話になるのはご愛嬌で。