こよみの上ではまだ彼岸ではありませんが、西法寺では毎年、9月16日の午前中が秋の彼岸法要です。朝から本当に蒸し暑くなりました。そんな中、お参りいただいて感謝です。

法話のご講師さんは、島根県邑智郡美郷町からお越しいただきました。私は島根県は出雲から西は行ったことがありません。講師さんは同い年でした。お父さんと、うちの前住職も同年齢だったようです。

ご講師さんは、「経教はこれを喩(たと)うるに鏡のごとし」との言葉を引用されました。中国の僧・善導大師が書に記した言葉です。大意は、「経に説かれた仏さま教の教えというのは、私たちの心を映し出す鏡のようなものだ」。「ああそうだよなあ」と私は聞いていたのですが、漢文で書かれた経典からそのように受け取るのは容易ではないとも。それで思い出したことが。ある時、法事の後、お参りされた御門徒さんが、「お経の言葉はよくわからないんですが、あなたを助けますと書いてあると受け取ったらいいですか?」と。なるほどと感心しつつ、「そうですね。そういうことですよね」とお答えしたことがあります。
仏の教えとは、隠されていた心のうち、内面を映し出す鏡であり、あなたがどんな内面を抱えていても、必ず救いますよと照らしてくれる鏡でもあるのでしょう。
「たとえ、どんなあなたでも助けるぞ」と心の底からいってくれる人が身近にいたら、自身を見つめ直し、生きていけるのではないでしょうか。仏さまの教え、救済というのも、そういうことじゃないのか、それだったら現代で苦悩を抱えて生きる人たちにも届くのかな、そういう鏡をもっていれば、内面にも何か違った心が芽生えてくるのでは? などと考えさせられた秋の彼岸法要でした。