昨日の朝、漁師のご門徒さんがお寺にトロ箱いっぱいのハタハタをもってきてくださいました。煮ても焼いても揚げても美味しい秋の味覚です。

底曳漁ははじまったばかり。ご門徒さんの息子さんがいま船主としてがんばっています。「今年はようとれてるみたいだで」とのことです。20センチをこえるようなビッグサイズも。
漁村には「わけもん」という風習があります。魚たちは私たちにたべられるためにいきているわけではありません。そのいのちをいただいて人はいかされています。そのおめぐみにみなで感謝する、わかちあうということではないかと思います。
分かち合うことを仏教では「ダーナ」といいます。「檀那さま」ということばはここからきています。「布施」も同じ意味です。
これはちょっと蛇足ですが、「法をもって集め、勤勉によって富を得たときに、飲食をもって食乞う者どもを正しく喜ばしめる」とお釈迦さまはおっしゃいます。貧しい人に対して施し、与えることをお釈迦さまはほめたたえているのです。「財を集めるということも、結局は、それによって人々に幸福や利益を分ち与えることを目ざすのであります」(中村元著『原始経典を読む』から)。今日の社会においては強者が財を集めることに血眼となり、それが行きすぎた結果、さまざまな混乱が世界中で日々、起こっていると思うのです。
話を戻して、せめておいしくいただだかなければ、漁師さん、そして魚たちに申し訳ないなと思います。都会暮らしではそんなこと考えもしませんでした。こういうことを、「もったいない」というのかと。
わけもんをいただいて、いつも思うことです。なによりも安全操業を、そして豊漁を。