お盆法要をおつとめしました

坊守です。
午後から初盆盆会、戦没者追悼法要を本堂で行いました。


今年のお盆法要の導師は前住職。全体司会は坊守、住職はメッセージで参加、という臨時スケジュールでした。
昨夜まで頑張っていた住職、夜中から熱が出て、お勤めを見合わせることになってしまったのでした。(たいへん申し訳ながっていましたが、流行り病もある中で、無理して出ていく訳にはいきません)。
住職が法要に寄せたコメントは、以下のとおりです。

ようこそお参りいただきました。あいにく体調を崩してしまい、今日はみなさまとご一緒することができません。申し訳ないことです。
本日は、前住職が正信偈の導師を務めます。少し休憩をとり、しんらんさまを歌い、納骨堂前で短いお勤めを坊守が行い、散会となります。何卒、ご理解ください。
先日、御門徒さんより、岩美町の戦没者の名簿をお預かりしました。それによると、昭和12年から22年までの戦没者数794名にのぼります。
網代地区は日露戦争以降、72名戦死、うち昭和19年以降に亡くなられた人数46名(約64%)
田後地区 68名戦死。うち昭和19年以降に亡くなられた方は49名(約72%)にのぼります。
昭和19年には、日本本土に空襲が始まり、勝ち目のない争いであることは明らかでした。
また、戦死公報も見せていただきました。その日付は昭和24年3月23日とあります。戦後3年半も経過して、戦死を知らされたご遺族はどんなに辛い思いをなされたことでしょうか。

県会議員をつとめた岩美町出身の故前田宏様は著書『愛郷無限』でこう記しています。

「強烈な思い出として残っているのは、(沖縄戦の)南部戦跡での遺骨収集作業である。鍾乳洞や草むらをわけながら行ったが、一時間ほどで麻袋十枚がいっぱいになるほどの白骨に、感情を抑えきれないものがあった。この遺骨を背負いながら、『戦争の悲劇は、二度と繰り返してはならない』と、固く誓ったものである」

ここに遺影を毎年掲げる意味は、戦没者を悼むとともに、絶対に戦争をしない不戦の決意を新たにすることであると考えます。
 そして、その写真の真っ直ぐ先に立たれる阿弥陀さまは、前屈みとなり、煩悩にまみれ、何をするかわからない私たちをなんとかすくいとろう、なんまんだぶつとはたらいてくださっています。今年初盆を迎えられた御門徒さま方もご一緒です。
 親鸞聖人は「念仏のみぞまこと」との言葉を私たちに残してくださいました。過去を風化させず、共に歩んでまいりましょう。

法要の片付けをして、様子をみると、エアコンのついた部屋で、氷枕をしながら休んでいます。昨夜からノノちゃんが、布団の端に座り込んで、付き添いをしてくれています。皆さんにご心配をおかけします。

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投稿者: 西法寺

西法寺のHPを管理している釈大朗です。よろしくお願いします。

“お盆法要をおつとめしました” への 2 件のフィードバック

  1. この酷暑の中の連日のお詣りは、大変でしたね。

    何かいい対策は、ないものでしょうか?

    ノノちゃんは、毎日お世話してくれる住職が寝込んでるのを心配しているのですね。

    かしこいね!

    しばらくの間、ゆっくり休んで、どうぞ元気を取り戻してください。

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