お寺が一番忙しいのは週末です。昨日は午前中法事、午後は役員会と歎異抄輪読会、夕方は逮夜法要と続きました。
早朝、短いお勤めを本堂で。その後、掃除や法事の準備。蓮の葉がずいぶん立ち上がってきました。

午前10時より法事です。施主さんから見るとお孫さん、故人さまから見るとまだ小さいひ孫さんが大勢お参りされました。彼らの関心は生き物です。本堂でクモを発見し、境内では「カエルがいる!」。法事が終わりみなさんで本堂入り口の階段に座って記念撮影です。
お参りの記念撮影。なかなかいいですね!
施主さんのおかさあんは今年87歳とのこと。足腰も達者でお元気です。そのさらにお母さんは107歳で亡くなられたそうです。
法事が11時過ぎに終わり、家に一旦帰ってネコの様子を確認し、坊守が作っておいてくれたおにぎりと唐揚げを腹におさめてお寺に帰って役員会の資料の印刷など。
午後2時より役員会。お寺フェスのふりかえりを少し。「日本海新聞の写真はよく撮れてた」「落語は満員になってよかった」。地元ケーブルテレビでの紹介は来週になるのでしょうか。町内の方はぜひご覧下さい。境内の整備計画についても報告。これは次回(9月)から本格的な相談にということになりそうです。
午後3時過ぎ「歎異抄」輪読会スタート。第13条を読み、意見交流しました。
「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」
「もしそうせざるをえないような情況におかれたならば、どんなふるまいもしかねない」、という親鸞聖人の自省の言葉です。またそれが人というものなのかもしれません。
そう考えると、「心が清らかな人しか救いの対象とならない」という教えならば、ほとんどの人はこぼれ落ちていくでしょう。それを逆手にとって、では「悪人を救う教えというのなら、悪い事をすればするだけ救われるのか」。そういう人も当時、現れてしまったのです。
親鸞聖人は、「薬があるからといってどうして毒を飲むのか」と抑止します。
「さるべき業縁のもよおせば」という自身の姿に本当に気づかされたのなら、自身への悲しみと共に、他者への共感、他者を大切にする想いへとつなげていかなければならないのでしょうか。そこに親鸞聖人の本意があるように思います。
夕方5時より逮夜(六七日・むなのか)。次の日曜が四十九日となります。こうしてご自宅での法事を重ねていくと、家族の方たちとのつながりが生まれます。そういう時間を下さった故人さまに感謝なのです。
夕方5時半過ぎに終了。海辺にご門徒さんとご友人の姿を発見。ある方から「西法寺さんはいっつも声をかけてくれますなあ」。しばらく談笑。
午後6時前に日曜の法務が終了しました。