知り合いの方がお亡くなりになりました。
2018年の春、こちらにUターンして以来、親しくおつきあいさせていただいておりました。
ご本人は死が近づいていることを十分にご承知でした。それでも、週末に何度か、長年過ごした自宅に帰ることもできたようでした。
最後にお会いしたのは先週の火曜日でした。
病室にうかがうと伏せっておられました。「足がだるい」とのことで、奥さんがさすっておられました。私も少しだけ足をさすりました。もしかしたら最後になるかもしれないと思い、1時間ほど病室にとどまり、奥さんから思い出話などうかがっていました。
病室に先生がおみえになりました。以前、若い医療スタッフに透析患者としての生活や生き方をお話しされる機会があったそうです。先生は、ひとこと、お礼を述べにこられたのでした。
「ありがとうございました」
「なんだあ先生、ワシの方が世話になっただけえ」
奥さんもそういうことがあったことを初めて耳にされたようでした。
生きること、病になること、老いていくこと、そして別れていかなければならないこと…。
お釈迦さまは「生老病死」を「思い通りにならない苦」であるとおっしゃいました。その苦を抱えながら生きることをお話しされたのかなと、ふと思いました。
病室から退出する際に、「もうすぐあんたにお世話になるけえ、よろしく頼むで」と声をかけていただきました。数年前から、「ワシが死んだら、あんたに葬式をしてほしい」とお願いされていたのです。
その約束を果たすときがやってきました。