午前中、市内のお寺での葬儀にお参りしました。坊守さんがご往生されたのです。
ご自身も幾度となく手を合わせられた御本尊を前に、ご家族、ご門徒さん、そして近隣寺院の僧侶が一堂に介しました。
開式にあたり、長年、親交のあったお寺の仏教婦人会の役員の方が心のこもった弔辞を述べられました。病気への不安の思いを親身になってきいてくれたこと、それがご縁となり、お寺と関わるようになり、研修会などにも参加するようになったことなどお話しされました。ご門徒さんにとって、大きな存在であり、心の支えであったことがよく分かりました。それだけに、悲しみはいかばかりであろうかと思うのです。
葬儀では、私も列席した僧侶のみなさんと一緒に、大きな声で読経しました。
悲しみの中、ご住職は、「倶会一処(くえいっしょ)、また会えることを楽しみに、生きていきたい」とごあいさつされました。
式が終わり、たくさんの方が別れを惜しんで花をたむけ、そして手をあわせ、火葬に向かう車を見送りました。西法寺からも、生前、親交のあった2人の方がお参りされました。
浄土真宗では、死んだら終わり、さようならではなく、お浄土で仏さまとなって 還相(げんそう)のはたらきをすると聞かせていただいています。
「人は去っても 拝む掌(て)の中に かえってくる」
私の好きな詩を胸の中でつぶやいて、お寺を後にしました。