今日は田後(たじり)でのお墓じまいのお勤めがあり、少し時間に余裕を持って墓地に到着しました。しかし、施主さんの姿がなく、もう一つの入り口にいってみてもやはり姿がありません。時間まちがったのかなぁといささか焦っておりました。
すると、先日法名を受けられたご門徒さんがお墓の掃除をしておられ、話しかけられました。「照という字をいただきました。私にはきょうだいがようけおって、照代という子は小さいときに死んだですが。その名前をいただいて、とてもうれしいですが」
私は、ご門徒さんに、照とつけた意味を28日、小さな紙に書いてお知らせしました。「仏さんに照らされる私が、ありがとうといただいて、今度は誰かを照らせるといいですね。住職は、いつもお孫さんをやさしく照らされているお姿も重ねて照をつけました」
お孫さんは小学生です。田後での報恩講に毎年おばあちゃんに連れられて、「きみょうむりょうじゅにょらい」といっしょに声もだしてくれます。最年少の参拝者です。おばあちゃんがお孫さんを照らしている表情がまた、いいんです。
全くの偶然ですが、こういうこともあるのですね。法名をよろこんでいただけたのもよかったです。
墓じまいのおつとめの方ですが、家の前で施主さんは待っておられました。私の勘違いをおわびして、墓前で手をあわせました。