最近、兵庫のローカル局「サンテレビ」で「母を訪ねて三千里」を毎日放送しており、懐かしく見ています。
舞台はアルゼンチンです。イタリアから出稼ぎに同国にやってきた母親との音信が途絶え、少年マルコが母を訪ねて困難な旅をするストーリーです。
アルゼンチンといえば、昨年12月に政権が変わったのですが、新しい省庁「女性・ジェンダー・多様性省」が新設されたことをニュースで知りました。同国では、重要な政策課題を議論する場に女性が立ち会うことが少ないそうです。同省の大臣はSNS上の交流サイト「統治する女性」を立ち上げ、閣僚を始め省庁の要職にある女性約100人が参加し、会合を開いて、公的行事で出席者の男女数の平等を保障するなどの改善策を協議したといいます。
他国のこととはいえ、日本も学ばなければいけないなあと思います。
仏教の世界ではどうなのでしょう。例えば当西法寺の場合、節々の法要でお寺にお参りされる方は、女性の方が圧倒的に多いです。他のお寺でも同様ではないかと思います。ところが、各種役員で見ると男性がほとんど。宗会という浄土真宗の最高議決機関には女性はいません。
植木雅俊さんの『今を生きるための仏教100話』で初めて知ったことなのですが、原始仏典『アングッタラ・ニカーヤ』には女性の仏弟子の名前が多く記されているそうです。ところが釈尊没後の教団からは女性が仏弟子から排除されたというのです。(153-154P)
植木さんは、原始仏典の『スッタパニーダ』をひき、「釈尊は、生物の種・類による違いは認められても、人間の在り方として人間同士には本来、差別はないと断言している」「釈尊は、男女の性差を超えて、人間という視点を持っていた」(143-144P)と記しています。
それが釈尊没後、押しつぶされ、『法華経』で復権したと植木さんは強調されています。一連の解明は目からウロコでした。
何れにしても、仏教における女性の地位の低さは、釈尊没後に作られたものであった、ということがわかりました。男性中心の社会のなか、それに取り込まれてしまったという面があったのだろうと思います。
自然にそうなったわけではなく、作られたものであるのならば、変えなければ。
相当の努力が必要な課題ではありますが、日本の仏教が、男も、女も、様々な性を持つ人も大事にする役割を果たせるようになると本当に素晴らしいでしょうね。