マンツーマンの法事

本日、お一人でお参りの方と法事でした。土日は仕事が休めず、平日しかお参りできないのでとのこと。ことし2人目となるお一人でのお参りです。

実は私の立場からいうと少人数の方が落ち着いてできます。30人くらいいらっしゃると集中できなくなる方もいて、それが前からわかるので結構焦るのです。

今日の方は、「私は信心がないので」とおっしゃいます。浄土真宗の信心は、私が頑張ってそのお手柄で得るものでなく、阿弥陀さんの一方的な働きです。

死ぬまでむさぼり、怒り、愚かさから離れられない私に南無阿弥陀仏の念仏を授け、必ず救うと私たちによびかけつづける仏さんです。

自分を見つめ、どこかで思い至ると、あれはだめ、これは敵などと自分は垣根を作って生きているんだなあと気がつかされるのではありませんか。私を見捨てず、呼び続け、呼び覚ましてくれる如来様がおられたのだと目が覚める。これが信心であり、だからこそ賜ったものなんです。そんなことをホワイトボードも使ってお話ししました。

「それって私のためにあるような教えですね」とお参りの方がそうおっしゃいました。

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投稿者: 西法寺

西法寺のHPを管理している釈大朗です。よろしくお願いします。

“マンツーマンの法事” への 1 件のフィードバック

  1. うへぇ、お参りのご門徒さんが「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに一人が為なりけり」のご領解をいただがれるとは、住職のご法話がよっぽど素晴らしかったということでしょう。

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