葬儀を勤めました。
読むのは「正信偈」です。
小・中学生のお孫さんもいっしょに読んでくれました。可愛らしい声が耳元までしっかりと届きました。
お経のなかに、必至無量光明土 ということばがあります。
私たちの命が帰ってゆく先は、はかることもできないほどの光が満ち満ちたところである、ということでしょう。
翻ってみて、私たちの住む世界は、みんなそれぞれ光を放って生きることができるところなのでしょうか。
優劣、損得、同調圧力などなど蔓延しています。
浄土を願うとは、みんなのいのちの輝きを大切にすることこそ理想であるということを抱いて、この現実世界を生き抜いていくことなのでは。
葬儀の後に法話をすることは時間の関係でしてきませんでしたが、短くそのようなことを話しました。
これは、つくられた現実に怯みそうになる自分に言い聞かせていることでもあります。
話をしている自分が、いちばん阿弥陀さんの話を聞かせてもらっているのかもしれません。