お寺の畑で一輪目のひまわりが開花しました。向日葵の名前の通りに太陽に向かって咲いています。
昨日は納骨のお勤めがあり、あらためてお墓について考えさせられました。
ちょうど古本で購入した『いまどきの納骨堂』を読み始めたところです。
墓はあっても、あとを守っていく人がいないという悩みを多くの方がお持ちです。墓じまいがふえているのも当然でしょう。一方で、入る墓がないという方、墓じまいされた方の納骨の先として納骨堂の必要性が増しているのもうなづけます。
先祖累代のお墓を守っていく形がとれればそれもよしですが、お墓は納骨堂に形を変えつつあります。
亡くなられた方のご遺骨を一緒に埋葬する共同墓のような形もいいのではと思います。自分の死後のためにお金を残せる人ばかりでもないし、みんないっしょに仏さんになって生きる私たちを支えてくれているというお墓がもっとあっていいのでは。浄土真宗にはそういうお墓が似合うと思うのですが。
いずれにせよ、これからのお墓について、お寺にできることについて門信徒のみなさんとよく話し合っていかなければなりません。
柿田睦夫さんの「悩み解決!これからの「お墓」選び」(新日本出版)なんかは参考になるかもしれませんね。篤信のご門徒さんの多い地域では、西大谷に納骨だけしてお墓は立てない風習もあると聞いたことがありますがどうなんでしょう。
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地域によってはお墓のないところもあるそうですよ。命を失えば、阿弥陀さんのところに行って仏となり、生きる私たちを救済する活動を始めるというのが真宗の教えです。そうなると遺骨に必要以上にこだわることもないですからね。
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